(11)何をはばかる必要がある? 本当の歴史を取り戻そう。過去(無意識)・現在(創出)・未来(希望)

 アメリカの洗脳計画が浸透するまでの日本の歴史は、実に健康的で気高いアイデンティティを内包してきました。抑圧されていた世界の人たちは、白人帝国主義に立ち向かう有色人種のヒーローとして見ていました。当時の日本人は、自分がどこから来た(過去)誰なのか(現在)知っていたし、誰になりたいのか(未来)も知っていたように思えます。聖徳太子が随に送った「日出づる処の天子より・・・」(607年)は、華夷秩序(皇帝は時間をも支配し、属国の王を含め皇帝以外すべて臣下である。現在はどうであろうか。)への決別であり、対等関係(天皇・皇帝)の樹立に他ならなかったと思いますが、独立自尊の精神は有史以来貫かれていて、つい最近まで気高い精神性を発揮してやまなかった。明治維新で武士達の自己犠牲のもとで国家の危機に備えることができたのも、武士道(「武は殺人(せつにん)の道ではなく、かえって活人の道である」『武道の神髄』佐藤通次共著)や独立自尊の精神があったからだと思います。その後の発展。世界最強のバルチック艦隊を破った気概。乃木希典が敵将に示した深い武士道。そして世界から評価された軍の規律。独自の文化がはぐくんだ部分もありますが、世界の列強と対等に対峙したかったのだと思います。それはどこを見ても白人支配の世界という条件の中で、人間としての尊厳への渇望から来ていたのではなかったでしょうか。「大東亜戦争」も同じです。インドネシアでの日本軍は、終戦後オランダが奪還しにきたときの為に、わざと武器を奪わせ、なおかつ一千人から二千人と言われている日本兵がインドネシアの独立に参加し、一千人の命を捧げました。マレーシアでは、マレイのハリマオ(谷豊)がイギリスからの独立のために、日本軍と共同で作戦に関わっていました。国家的政策であるユダヤ人へのビザの発給(誤解が多い)。それらにとって変わったのは、たった50数年間の改竄された自虐の歴史教育なのです。もちろん人間ですから間違ったり勘違いした部分も他国と同様にあったと思いますが、筆者は彼らを明暗あわせ誇りに思います。よくやったと言いたい!特攻隊の遺詠を紹介します。年齢をまず見てください。




                   たま    と   わ                                     み くに

 
死するともなほ死するとも我が魂よ永久にとどまり御國まもらせ 
                                                          桜花」特別特攻隊・緒方 襄命
                         九州南方上にて戦死   23歳

 彼らは敗戦を感じ取りながら、未曾有の状況の中で誰になるべきかを決心し、その高い精神性を実感しながら、身を捨てる一瞬までも目的を体現し続けたのだ。我々は、今生きていながら生きていないのではないか? 真実を知ろうともせず謝罪し続けることは、生きていない証ではないだろうか。喪失した日本の歴史を取り戻しさえすれば、必ず本当の自分を取り戻すことが出来ると確信する。何に対してはばかる必要があるのか? 近隣諸国との友情を危惧するのか? 恫喝と謝罪の関係に終止符を打ち、互いの意見を殴りあってでも発露できるようになってこそ、真の友情関係であると思うが。大事だと言いながら、自分の方から距離をとっているのではないか。

 少女が書きそうな詩は、もしかすると数十年前に、組合活動に熱心?な先生に平和博物館にあるような歴史を教えられたことのある担当筆者の病理でもあるかもしれないし、戦後民主主義教育を受けてきたすべての人の潜在意識の病理なのかもしれ。我々の心の中や空気には、まだ過去の精神が眠っている。触れれば必ず歓喜し、思い出すはずだ。我々は自分が何者であったのか思い出さずにはいられないし、自分が何になりたいのか知らずにはいられない。今を逃してしまったら、もう日本人はどこにもいなくなってしまう!!

  アメリカ海軍水兵たちの回顧録の中に特攻隊のことが書かれているらしい。西 鋭夫氏はこう感想を述べています。

  「回顧録」を十冊ほど読んだ。「神風特攻隊」の記述を読んだとき、涙が止まらなかった。・・。レーダーに「点々」が現れる。神風はまだ肉眼では見えない。しかし、その点々の方向に全ての機関銃を、全ての対空砲を、撃ち始める。十機ぐらいの神風が肉眼に見える。まっすぐ航空母艦に突っ込んでくる。水兵たちは、気が狂いそうな恐怖に震えながら、機関銃を撃ち捲る。ほとんど三十分ぐらいで撃ち落とす。だが、時折、一機だけがいくら機関銃弾を浴びせても落ちない。銃弾の波間を潜り、近づいてきては逃げ、そしてまた突っ込んでくる。日の丸の鉢巻きが見える。祖国のために死を覚悟し、己の誇りと勇気に支えられ、横殴りの嵐のような機関銃の弾雨を見事な操縦技術で避け、航空母艦に体当たりし撃沈しようとする恐るべき敵に、水兵たちは、深い畏敬と凍りつくような恐怖とが入り交じった「感動」に似た感情を持つ。命を懸けた死闘が続く。ついに、神風は燃料が尽き、突っ込んでくる。そのとき撃ち落とす。その瞬間、どっと大歓声がわき上がる。その直後、耳が裂けるような轟音を発していた甲板上がシーンとした静寂に覆われる。水兵たちはその素晴らしい敵日本人に、「なぜ落ちたのだ?」「なぜ死んだのだ?」「これだけ見事に闘ったのだから、引き分けにして、基地に帰ってくれればよかったのに!」と言う。アメリカ水兵たちの感情は、愛国心に燃えた一人の勇敢な戦死が、同じ心をもって闘った戦士に感じる真の「人間性」であろう。それは、悲惨な戦争の美化ではなく、激戦の後、生き残った者たちが心の奥深く感じる戦争への虚しさだ。あの静寂は、生きるため、殺さなければならない人間の性への「鎮魂の黙祷」であったのだ。    (『國破れてマッカーサー』西 鋭夫著p24)

 特攻隊を過度に美化しようとは考えていません。若くして死んでいった彼らの真実を正しく観て欲しいのです。もしかすると多くの日本人より、「韓国海軍の若い艇長ら」の方がよく知っていて、特攻隊に身近かもしれませんね。
 テレビである論説者が「歴史は血と同じである」と言っているのを聞きました。まさにその通りであると思いました。そして、過去・現在・未来は、人の中で一体です。人は現在にいるのみではない。過去とは、今現在の文化・秩序・知恵・誇り、空気のように存在する日本という固有の無意識そのものを含んでいる。(それが今どんどん崩壊している。) 過去を失う(ゼロ)ことは、いや否定(マイナス)することは、未来へつながる具体的な人間像を見失うことであると断言します(極端な例、人は「狼少女」にさえなれるのです。

 筆者は思う。「力強い人間」とは、過去(無意識)・現在(創出)・未来(希望)を、同時に備えている人のことを言うのではないでしょうか

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