3)教科書の現状について

(1)「乳房切り残虐壁画」 

 左の挿し絵は、後ろ手に縛った女性の乳房を兵士が短刀でえぐり血が流れている図である。兵士の足下には赤ん坊が転がっている。とても陰惨な写真である。しかしこれは、『1996年春から使用された大阪書籍の小学校社会科教科書と、1997年春から使用開始された日本文教出版の中学歴史教科書には、それぞれ、「日本軍の残虐さを批判する壁画」、「日本軍の残虐行為を伝える中国の壁画」と言うキャプション付きで、華北地方の民家の壁を塗りつぶして大きく描かれた・・壁画の写真が掲載されました。』(新しい歴史教科書をつくる会の会報『史(ふみ)』平成11年5月号「教科書二社”乳房切り残虐壁画”を削除」藤岡信勝副会長当時)。なんとこれが小学校の教科書に載っていたのである。文部省が認め、採択されていたのだ。

 『教科書の本文には、「1937年、ペキン(北京)の近くで日本軍と中国軍のしょうとつがおこり、これがきっかけとなって、日中の全面戦争となりました。日本軍は、中国各地に侵略し、多くの生命を奪うなど、中国の人に大きな被害をあたえました。」(大阪書籍・小学校)などと書かれていました。教科書は、日本軍がこの壁画のような残虐な行為を働いたと子供に信じ込ませていたのです。・・・この壁画は、敵を悪魔のように描き出して敵意を煽る、「戦時プロパガンダ」の一種なのです。・・・日の丸の腕章をつけて戦場で戦った日本兵はいない・・この絵を書いた学生は、日本兵を見たことがないに違いない。・・・人を柱に縛り付けて乳房をえぐり取るという行為は、中国の元朝以来、歴代の王朝が受け継いできた正規の刑罰のひとつなのです。』(同上)。つくる会として機会あるごとに取り上げてこられた結果、平成11年1月異例なことだが、二社は文部省に別の写真に差し替える申請をした。

 このような根拠のない写真を、あたかも史実であるかのように教科書に載せてきたことは、重大な問題ではないか。外部から何も言わなければ、今も掲載されていただろう。

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