(6)GHQの政策により、「国旗」の自由掲揚は禁止されていたが・・・

 昭和二十四年一月一日マッカーサーは、「国旗の無制限掲揚許可に関する総司令部覚え書き」によって、日本国民は自由に「日の丸」を掲げられるようになりました。しかし国民の反応は、このようなものでした。

  ・・マッカーサーは、これからは「平和の象徴」として「日の丸」が「日本国民の一人
  ひとりをふるい立たせる輝く導きの光としてひるがえらんことを心から念願」したが、
  日本国民はいっこうに「日の丸」を掲げようとしなかった・・・・昭和二十五年二月の
  朝日新聞の全国世論調査によれば、国旗を持っている人は七三%いるが、その中で祝祭
  日に「日の丸」を掲げる人は三〇%にすぎず、国旗を掲げない理由として、「国旗を出
  すと世間から軍国主義者のように思われるから出さない」「誰も国旗を出せといってこ
  ないし、出さなくとも誰からも文句がこないから」
(『検証戦後教育』)

 この頃から、今の国旗嫌いの現状が始まったのです。見事な大成果です。

(7)衆参の「マッカーサー元帥に対する感謝決議」鬼畜米英から救世主様へ

 戦争犯罪洗脳計画は、国会でマッカーサーに対して感謝決議がなされるほど「世界の占領史上比類なき成功」を遂げました。作家の武者小路実篤は『新生』(昭和21年新年号)で「マッカーサー元帥に寄す」でこう述べています。

私は国民の多くが、敗戦後反って自由を得られ、生活の安定の希望を得られ、人間らしく取り扱われるようになったので負けてよかったと思っていることを告白します。(『検証戦後教育』)

  毎日新聞(夕刊 昭和26年4月17日付)に次の記事が掲載されました。

  ああマッカサー元帥、日本を混迷と飢餓からすくい上げてくれた元帥、元帥! その窓から、あおい麦が風にそよいでいるのをご覧になりましたか。今年もみのりは豊かでしょう。それはみな元帥の五年八ヶ月のにわたる努力の賜であり、同時に日本国民の感のしるしでもあるのです。元帥!どうか、おからだをお大事に   『検証戦後教育』)

 確かに一面ではアメリカの占領政策はひどくはなかったから多くの人に受け入れられたのでしょう。しかし日本は、人としての尊厳を求めて世界と戦ったのです。この戦争はもともと欧米人がアジアを支配したのが原因です。戦勝国はそのことを巧妙に日本の内部の問題にすり替えながら、いつしか誇りや愛国心をこの国から50数年間も取り上げてしまったのです。独立自尊を、愛国心を捨てさせたのです。ウォーギルト・インフォメーション・プログラム、これはもしかすると原爆よりひどかったのかもしれません。

(8)歴史の喪失、近隣諸国条項

 GHQの洗脳を受け入れた歴史の喪失は日本の政治家を無力にし、証拠が無くても謝罪する卑屈な習性を身につけさせてしまいました。その結果諸外国は日本に対し誤った認識を持つようになってしまっています。有名な事件は、近隣諸国条項(1986の発端となった文部省の検定、侵略→侵攻書き換え新聞誤報事件です。事実に反しながら政治的に謝罪解決してしまい、反日でまとめている外国のプロパガンダ(戦意高揚の宣伝)が日本の子供達の教科書に出てくるようになってしまいました。誤報と判明してからも改善しようとはされない、教科書が酷さを増した歴史的事件でした。また新しい歴史教科書をつくる会の発足のきっかけになった、いわゆる「従軍慰安婦 強制連行」記述も同様で、マスコミの情報操作と関連し次章に詳しく解説しました。このような日本を包む芯の無い空気のことを、筆者は歴史の喪失と言いたい。ある期間日本人が集団で突然変異したのです。その経緯を戦後民主主義と言います。当時大人で状況をしっかり見てきた人達は騙されてはいない。老人たちは、『戦争論』(小林よしのり著 幻冬舎)、に書かれていた通りだったと言っておられます。結果的にアイデンティティーの喪失に自らも加担してきた自虐社会の病理は、子供たちのいじめ・学級崩壊・生きる力の喪失となって吹き出してきたと思えてなりません。

  現行の教科書は日本の来歴を教えようとしない。世界第2位の経済大国(ヨーロッパが一つになってもかなわない)で、1位のアメリカよりも数段治安の良い生活水準の中で、とにかく現実が成功と評価している現状の中で、どうして貧困の中から生まれたイデオロギーがこの国で革命を起こせるでしょう。ベルリンの壁崩壊後、現実がマルクス主義を大否定してから、なおさら彼らは教科書の中やマスコミの中で日本の歴史を貶めることに活路を見い出しました。“うす甘いサヨク”に囲まれて、真ん中に少数の確信犯が居るぞ

  では喪失してしまった日本の本来の歴史、もしくは誇りとは何でしょうか。またその影響について担当筆者なりに論じてみたいと思います。

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