日本の戦後補償問題

 ここ数年、第二次世界大戦時に、日本政府・軍が、強制的・半強制的に戦争行為に、巻きこむことによって死亡した人の遺族、また著しい損害を被った人々や、その遺族から損害や不払いに終わった賃金、軍票等の補償を求める動きが高まってきた。これらの人々は、日本軍に徴用されて戦犯とされた人、強制連行されて労働に従事した韓国・朝鮮人や中国人、インドネシア人、在日韓国・朝鮮人の傷痍軍人・軍属、朝鮮半島から連行されて、広島で原爆の被害を受けた被爆者、同じくサハリンに残留を余儀なくされた韓国・朝鮮人、そして軍が徴用した従軍慰安婦であり、従軍慰安婦には韓国・朝鮮人のほかに中国、台湾、フィリピン、オランダ人等をも含むことが明らかになっている。

 これらのそれぞれケースの異なる被害者たちは、個人で、あるいは集団で、補償や未払い賃金の支払いを要求して、日本政府や労働者を雇用した企業に対して訴訟を起こしている。

 日本政府は、これに対して国家間の平和条約や賠償協定によって「補償問題は法的に決着済」との立場をとっている。戦争とは、国家間の問題であって、個人の利害は、国家によって代表されるとする立場である。しかし、日本と同じく全体主義による侵略を、近隣諸国に対して引き起こしたドイツは、ユダヤ人やナチスの迫害を受けた人々に、連邦補償等で補償を行っているほか、空襲を受けた被害者にも補償を行い、明白に個人を対象としている。……以上のような内容のことが平成4年(1992年)頃、日本のマスコミに急浮上し、なかでも従軍慰安婦問題とドイツの個人補償というまったく別個の二つの概念が、大きく取り上げられるようになった。

 ここで問題になるのは、「個人補償」という言葉に関する感傷的誤解である。

ドイツは国家賠償を済ませた後で、それでは足りないからより手厚い、心のこもった人道的措置として、「個人補償」をさらに重ねているという、前提ですべてが語られ、そのためドイツの償いの仕方が礼讃されている。とすると日本はまだ本当の補償をしていないのではないか、という不安と劣等感に襲われてしまう。近代戦争史では敗戦国が、戦勝国に「国家賠償」を支払うのが普通であり、戦勝国の被害者ひとりひとりに、個別に「国家賠償」をしたことはなく、まずここに大きな事実誤認がある。

 ところで、ドイツはまだ国家賠償をしていない。これは東西分割国家であったからであるが、さらに、旧交戦国のどの国とも、講和条約を結んでいない。よく考えれば驚くべき事実である。

 ドイツの巨額補償は、賠償ではなくナチ犯罪に対する「政治上の責任」の遂行である。したがって、どこまでも「個人」の次元で処理されるべきものであり、「集団の罪」を認めない歴代ドイツ政府の立場は、ここでこそ貫かなければならない。ナチ犯罪に、ドイツ国家は、「道徳上の責任」を決して負わないし、あくまでも個人の犯罪の集積であって、償いは、どこまでも「個人」に対してなされるべきである。ただし、ドイツ国家が「政治上の責任」を果たすために、財政負担をするという理屈ではある。

 個人補償は、そのような背景から出てきた例外措置で日本人が感傷的に誤解したような、より手厚い心のこもった、人道的措置ではない。戦後処理に個人補償など考えられないことであり、ドイツのこの例が、おそらく歴史上最初であり最後であろう。

 サンフランシスコ講和条約では、対日無償賠償政策をとるアメリカの強い圧力で、連合国のほとんどが、賠償請求権を放棄し、日本政府が、講和条約の規定に基づいて、賠償支払いの要求に応じたのは、フィリピン、インドネシア、ビルマ、南ベトナムの4カ国だけとなった。日本は、とどこおりなく、すべてを処理した。但し、韓国とは、戦争をしていないから、賠償も支払っていない。ただ日韓基本条約締結時に、3億ドルの無償供与と、2億ドルの低利貸付の協定を結んだ。今なら安いが当時の5億ドルは当時、日本国家予算(一般会計)の20分の1である。

 他方中国は賠償を放棄した。しかし我が国は国交回復以来、中国には莫大な「経済援助」をつづけ、その金額のなかには、謝罪と償いの意志が含まれているのである。経済援助と呼ぶのは、サンフランシスコ講和条約で、戦勝国が、賠償を放棄した為「賠償金」と言う呼び方ができず、「経済援助」と呼ぶだけで、実質的には、戦後補償の意味が込められていることは言うまでもない。しかし中国政府は国民に、この情報を伏せているらしい。中国国民は賠償を放棄し、日本に恩義を与えた、という事実だけを知らされ、日本からの積年にわたる巨額援助については、なにひとつ知らされていないという。しかし一方では日本の財産であった、南満州鉄道、撫順炭坑、大連港、重化学工業、鉱山などの施設を、没収している。このことを黙許するのは、日本の外交上の失点である。

 以上のように、日本とドイツは、償いの方式が違うのであり、日本は、国に対する賠償を基本とし、一方ドイツは、被害者個人への「補償」を柱にしているのである。

 日本政府は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と台湾を除き「国家間の賠償と財産請求権の問題は解決済み」としている。

 慰安婦問題は、平成5年8月当時の河野洋平官房長官が発表した、慰安婦関係の調査結果に関する談話というのが元凶になった。慰安婦の強制連行を示す証拠のないままに、謝罪と反省を表明してしまったのである。その後、それが韓国政府との政治的妥協に過ぎなかったことが明らかにされても、河野談話は、撤回されないままに終わっている。証拠のない自虐の産物が、日本から発信され独り歩きし、それが、日本への謝罪・賠償請求となって返ってくる。このように、「日本には、どんな理不尽な要求を突き付けてもいいんだ」という空気を、このまま放置していては大変なことになる。

 日本人として注意すべきことは、戦争犯罪には時効がないこと、またそれについては、事後法で裁かれることが、国際法上認められていること、この二つを、きちんと認識しておくことである。戦争犯罪は、不遡及の原則の範囲外とされているのである。

 謝罪することは前提の事実関係を認めることであり、損害賠償と原状回復を求められるのは、当然になってしまう。要するに謝罪は、国際法上の不法行為責任を、国家が認めたということ、と同義になるのである。

 戦後補償に関して、日本政府は「決着済み」とはっきり言うべきであり、そもそも特命全権大使が、南京事件で事実関係を認めてしまったり、内閣官房長官が、安易な謝罪表明をするような謝罪外交は、自分で自分の首を絞めるということを、是非我が国政府は、肝に銘じるべきである。

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