9.教育基本法

「新しい時代に処する教育の根本方針が、憲法において、国民の代表たるわれわれの手によって作られることが適当ではないかと思うが、文相はいかに考えているのか」

 のちに文相となる社会党の森戸辰男議員が、政府の文教政策の理念の確立について、こうただしたのは昭和21年6月27日の衆院本会議においてであった。

 この「第九十回帝国臨時議会」の最大の案件は「憲法」の改正だった。それゆえ森戸議員は、新憲法に教育の目標をしっかりと掲げるべきだと主張した。

 質疑に応じたのは第一次吉田内閣の田中文相であった。

文相はまず、これまでの教育の大本とされてきた教育勅語について、私見を述べ、続けて「(新しい教育の方針を)憲法の規定にとりいれるのについては、その内容が複雑で、まだ一定の形が出来ているとは言えない。(中略)この際は憲法の中に、これに関する規定を置かず、教育に関する根本法を制定する際に、その中に取り入れたいと考えている。(中略)少なくとも学校教育の根本だけでも議会の協賛を経るのが民主的態度で、目下その立案の準備に着手している。」

 これが、戦後教育の理想をうたいあげ、そして現在も教育法の冒頭に掲げられる全十一条の「教育基本法」制定への発端だった。

 田中文相発言の趣旨は新しい教育の理念を新憲法の中だけで示すことは技術的にむずかしい。そのかわりに国民の代表である議会議決を得、法令で定めた“教育の根本法”によって、その理念を実現したいという強い意思の表現だった。

 このあと田中文相は「教育基本法」「学校教育法」「教育委員会法」の制定に深くかかわっていく。しかし、教育の理想の実現に向かって、第一歩をふみだしたといえる答弁に対してCIEは必ずしも好意的ではなかった。

というのは教育行政関係者にCIE側にとって好ましくない「教育勅語観」を持つ、人々の存在があった。そのひとつの例として田中文相の国会答弁で展開した、「教育勅語観」を紹介しよう。

「教育勅語が今後の倫理教育の根本原理として維持されなければならないかどうか、結論を言うと、これを廃止する必要を認めないばかりでなく、かえってその精神を理解し高揚する必要があると思う。(中略)教育勅語を完全無欠なものとしても、これに国民道徳の方針全部が含まれているとは考えず、道徳の原理を広く古今東西に求めなければならないと思うが、民主主義の時代になったからといって、教育勅語が意義を失ったとか、あるいは廃止されるべきものだという見解を、政府はとっていない」

こういった価値観が教育勅語の処理に頭を悩ませていたCIEに強い衝撃と不満をあたえ、勅語を廃止にする方針が打ち出され、あとに述べる、文部省に「自然消滅的」なやり方で放棄させた。

 基本法を作るため文部省は昭和21年8月28日、大臣で官房に審議室を設け、本格的な立案に入った。

 審議室は同年12月4日に調査局審議課となるが、本来は教育刷新委員会(日本側教育者による審議委員会)に事務局としておかれたものだった。しかし、教育基本法や教育委員会など重要教育法案については、案文だけではなく、その内容に深くタッチし、法律制定の大きな原動力となった。

 教育刷新委員会は最優先テーマを「教育の根本理念に関する事項」として協議を重ね「教育勅語に類する新勅語は奏請しない。勅語及び詔書の取り扱いについては、文部省の方針を承認する」との結論に達した。

文部省は、これを踏まえて、次官通達を出した。

一、 教育勅語をわが国の教育の唯一の淵源とする従来の考え方を去るとともに、古今東西の倫理、哲学、宗教などに求める。

二、 式日などにこれまで教育勅語の奉読を慣例としていたが、今後はこれを読まないこととする

三、 勅語及び詔書の謄本などは引き続き学校で保管すべきだが、その保管、奉読にあたっては神格化するような取り扱いをしない

 CIEの“自然消滅”作戦どおりの結末だが、とにかくこれによって戦後の勅語論争に事実上のピリオドが打たれた。(閣議における正式な決議はあとだったがそれも事実上の追認だった)

 委員会は休む間もなく教育基本法要綱草案をまとめあげた。

まだ「われらは、さきに、日本憲法を確定し・・・」で始まる前文はなかったが、第一条(教育の目的)や第二条(教育の方針)などにはたくさんの時間を費やして検討された。

 特に第一条の「人格の完成」の言葉をめぐって熱心な議論を展開し、倫理的・道徳的であり過ぎると「人間性の開発」という表現も出ていが最終的には田中文相の意見で「人格の完成」で落ち着いた。

 第三条(教育の機会均等)、第四条(義務教育)はまさに憲法第二十六条の「教育を受ける権利、受けさせる義務」を受けた規定で、これにはさしたる異論はなかった。

 CIEはこれらの審議にあまり口を挟まなかったが、最初にクレームをつけたのは「男女共学」の問題だった。

 第五条(男女共学)は「男女は互いに敬重し、協力し合わなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない」となっている。草案では「女子教育 男女はお互いに敬重し、協力し合わなければならないもので教育上原則として平等に取り扱わるべきものであること」と単に女子教育の尊重を唱えたものだった。

 これに対してCIEは男女共学をハッキリと盛り込むことに懸命だった。

 第六条(学校教育)に続く、第七条(社会教育)も新しい理念の規定である。
 「家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によって教育の目的の実現に努めなければならない」となっている。社会教育については、アメリカの教育使節団報告書でも「成人教育 成人のための夜学や講座公開により、更に種々の社会活動の校舎を開放すること等によって成人教育は助長されるのである(中略)これらの目的を達成するために、文部省の現在の『成人教育』事務に活を入れ、かつその民主化をはからなくてはならない」と指摘があり、教育基本法ではこれを受けた形で社会教育の重要性を強調している。

 教育基本法第十条(教育行政)は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」

 民主主義国家における教育と国民の関係を規定した一項のくだりには「教育は一般行政のように官僚機構を通じて、間接的に責任を負うのでは不十分である」とあって、教育分野の官僚統制を抑制する内容である。

 二項は、教育行政の任務と限界を定めた重要な規定であり、戦前の視学のような形での教育への介入を戒めている。さらに、教師と子供が、より良い環境で教え、学ぶための条件整備を促している。「教育行政」の条項については第一特別委では、初め「教育行政は、学問の自由と教育の自主性とを尊重し、教育の目的遂行に必要な諸条件の整備確立を目標として行われなけれはならない」と結論づけた。

 教育基本法は、このほかに第八条(政治教育)、第九条(宗教教育)、それに第十一条(補則)を加え、全十一条から成っている。

 教育基本法には、制定の理由とその理想とするところをうたいあげた前文がある。

「われらは、さきに、日本留憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育のカにまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめぎす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教百の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する」

 憲法は別として、普通の法律に前文を置くのは異例のことであり、教育基本法が“教育憲法”と呼ばれるゆえんである。

 文部省の教育基本法要綱草案には、前文の構想はなかったが、委員の意見を聞き、文部省で何度も練り直して成文化された。
教育基本法はCIEと刷新委と文部省の合作だった。そのどちらに主導権があったかは別として「マッカーサーの押しつけ」と言われる憲法とは違って、CIEによる“指導”はあったにしろ、「教育基本法は日本人の手によって成った」という点では、関係者の認識は一致している。

 戦後教育改革の最大のテーマである義務教育の九年制は、この教育基本法の中のわずか二行(第四条・義務教育)に凝縮されているが、同法と、その実施内容を具体的に規定した学校教育法が、昭和22年3月の“最後の帝国議会”で成立し、ここに六・三制がスタートしていく。

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