あ と が き(小さな誇り)

 私達は元より歴史家ではない。中小企業の経営者である。執筆した内容にはできる限り正確を期したつもりであるが、調べれば調べるほど史実は深淵であり、一部には誤りがあるかもしれない。執筆を終えて、自分は一体何をしているのだろうと思う。浅学非才を顧みず、膨大な資料にあたったこの数ヶ月間は、仕事そっちのけの日々であった。家内や子供には、その分迷惑がかかることと思う。しかし、執筆を終えて、今、自分が妻と一緒に暮らし子供を抱いてやれることの幸福を心底思う。

 筆者の祖父は、陸軍砲兵隊の少尉として昭和12年11月、上海郊外で戦死している。聞くところによれば、祖父は、双眼鏡で敵陣を観察中に、物陰に隠れていた中国の狙撃兵に心臓を撃たれ一言も発する事ができずに落命したそうである。祖父は高級将校ではなかったし、子供以外にこれと言って名誉も財産も残さなかった無名の軍人である。今の世の中からは全く忘れ去られた遠い過去の人であろう。

 戦争の事についてほとんど語ることのなかった祖母が、以前、私に語った事が一つあった。昔だって、しょうゆを飲んでわざと体を壊して戦争から逃げた人だっていた。けれど「おじいさんは、お国の為に『志願して』人のいやがる戦地に行った」という事だった。
 「お国の為に自らの意志で」、その一言だけが、あとに残された祖母にとっては「小さな誇り」であり支えだったのだと思う。

 祖父とは言っても、享年30歳であった。私はすでに、祖父の年齢をはるかに超えてしまった。私は祖父に呼びかけたい。あなたがいてくださったおかげで、今、あなたのひ孫は、私の腕の中で安らかに眠っております。どうかこれからも、この子をお守り下さい。

 私を突き動かして止まないもの、それは我々の祖先に対する、言葉で言い表せない、熱い思いである。戦闘中に倒れた人、密林で食べ物も無く病死した人、冷たい海に沈んだ人、終戦後シベリアに抑留され過酷な条件下で病死した人、戦犯として処刑された人、みんな敬愛してやまない我々日本人の祖先である。私達は、死んで行った大勢の祖先たちの、その無念を知るが故に、その無念を知っている者が「少なくともここに一人いる」と言うことを、死んでいった人達に呼びかけたかったのである。

 この文章を書いたことには、さまざまな異論もあるであろう。私は先祖達の目から見たら崩壊しつつある祖国日本に問題提起するためあえて一石を投じたのである。

 そして我々の文章に触れたJCマンの一人でも二人でも私達の思いを感じる人が出てくれれば、もはや何も言うことは無い。その方々に心の底から「有難う」と申し上げたい。亡くなられた方々の名誉を回復することは、もはやできないかもしれないが、それでも私は申し上げたい。「皆さん、本当にご苦労様でした」、どうかこの思いが天上の皆様に届きますように。「小さな誇り」は、私達の中で今も確実に生き続けております。祖先の血汐が私の身体を流れるように。

合掌

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