カンボジアGTS報告
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今年2月に行った、カンボジアのご報告です。/うわじまJCニュース原稿

2000年四国地区GTS

さる、2月25日から29日まで、四国地区事業である
Global Training School in Cambodia」に行って参りました。月末の多事モードの中、なかばブロック会長のお務めとして、私個人としても、また過去には国際交流委員会などという組織もあったと聞く宇和島青年会議所の歴史の中でも初めての参加であります。先般の例会においてご報告の時間を頂戴し、GTS事業に対する私の総論的なお話はさせて頂きましたので、本稿では具体的な活動のなかで見聞きしたカンボジアの現実を行程を追いながらお伝えすることに割きたいと思います。「事実を事実として」

2月25日(金)

 25日早朝、眼病を煩うスタッフを除きメンバー総出(早出)の見送りを受け、なぜ我が身をこの場に置くことを良しとしているのか、自分のふがいなさに腹を立てながら松山への車中にあった。宇和島からは私1名の参加。数年前の全国大会のキャッチフレーズに「独立(ひとり)で来い」というのがあったけど…、寂しいものである。松山空港でさっそく各LOMのメンバーと出会う。本年愛媛では、GTS実行委員会の委員長にブロックの井上直前会長を輩出していることもあり、GTSのあり方や意義について予定者段階から会員会議所で議論をして来た。そういうこともあって愛媛からは全参加者の半数に迫る参加を頂いた。参加するメンバーと会い、愛媛ブロックの力を感じながら研修の成功を祈ったのであった。松山空港で朝食をとり関空へと向かう。高知を除き今朝各地を発ったメンバーが集合する関空では、先に着いている他ブロックのブロ長はじめ顔見知りのメンバーとなぜか「から元気」の挨拶とJC得意の握手攻撃である。

**この握手、なぜか得意先との商談の際なんかにも思わず手が出そうになりますな、これも習慣のようです。もっと恐ろしい習慣は、喪主の挨拶にうなずきながら思わず拍手してしまいそうになる習慣、これってひゃっとする。そんな経験ありません?**

 関空の会議室での結団式、会議室には思いっきり漢字とカタカナの横断幕があった。

**これもJCって大好きですね。移動の時など大きな荷物になるのに何万円もかけて毎度作ってしまうのです。そして、たいがいテープなどが取れて壁から落ちそうだったりするのだけど、今回明るい前途を表すように床に落ちたりはしなかったと記憶している。**

 また、横断幕には日本の国旗とカンボジアの国旗が律儀にデザインされている。しかし、このカンボジアの国旗、実は後で述べる暗黒のポルポト政権時代の国旗であったのです。日本政府がポルポト政権を正式に国家として認めたという経緯もあり、あとでこの事実を知ったときには、とてもスリリングなGTSだったことに感動を新たにしたのでした。例によって森地区長・湯浅顧問・井上委員長、挨拶の好きなJCは、今日も挨拶が続きます。「本年はどたキャンもなく…」ということ。

 「結団式で決意も新たにいざカンボジアへ」と言いたいところだが、「いや本当はどたキャンもあるのだけど」とか思い、携帯電話に急用が入れば「私も今なら」と期待するがそろそろ腹を決めなければ…。「もう、関空の旅客サービス施設使用料の支払いも済ませたんやで、後戻りできへんがな」なんてなぜか関西弁で馬鹿なことを考える。

**そのチケットは大人1枚2650円、このお金があればどれだけの子供達の命が助けられるだろう。まぁ、こういう意識を持てるのもGTSのおかげかな。**

 出国手続きを済ませ、タイ航空TG−623便11:15分発「ついに乗ってしまった」。全席禁煙で快適。やはりこんなグローバルスタンダードがJCの会議でも確立されればなんて、その時は考えませんでしたが、今原稿を書きながら考えています。たまに、我慢できずにトイレで吸ってしまう節操のない日本人がいると聞くが、不思議と分別のあるJCメンバーはそこまで節操が無くはないようで、機長のご注意は耳にしませんでした。機中では、GTSに対するアンケート記入もあった。当然真面目にしかし小学生のような字で答えておく。とりあえず、辛辣な持論はおいといて、波風立てない程度のちょっとした皮肉を効かして。しかし、私も丸くなったものだ。委員会から配付された資料などに目を通し、なぜか次年度の人事ネタなどで盛り上がりながら(当然次年度GTS委員会の委員長人事の話題では特に盛り上がる)機中を過ごす。

 バンコクには15:30到着。現地時間は日本より2時間遅れなので、約6時間の空の旅。日本との気温差は、約20度。湿度が高くないせいか比較的楽。しかし、DNA組織を破壊するという紫外線Bが肌に突き刺さるのがわかる。

**最近医者がゴルフをやめ始めているとのこと、そりゃそうだ。それがグローバルスタンダードだったりする。やけどした肌が健康的だというのは、もう15年も前の話。そういえば、空港内でY先輩を見つける。でも、人違いだったのかもしれない。**

 怪しい集団JCも入国審査は全員が無事通過。しかし、カンボジアで提供する大量の文房具やうどん等の資材が税関で引っかかる。愛媛が担当の絵本は皆のバッグに10冊ずつとか分けて持ち込んだので、パスしたが、箱ごとまとめて実行委員会が持ち込もうとしたものが引っかかったらしい。東南アジアでは良くある事なのだろう。後で聞くと、税関職員は期待どうり「これくれ」と言ってくれたそうだ。タイに持ち込むものはなかったので、それらを税関に一時預けとし、明日のカンボジア出発時に再交渉するとの事。どーせ金渡せば解決なのだと思うのだけど、外国になれていない私はただただ腹立たしい。

1日目はバンコク泊。今回の目的地はカンボジアなのだが、ワンフライトで行けないため、タイで1泊という事になる。このあたりワンフライトで行ける地域なら、全体の日程の短縮も可能であるし、現地で実際に活動する時間も長く取れるのだけど…。

**そこら辺についても、参加しやすい日程を検討した2000年GTSは、当初訪問先としてタイを選んだ。しかし、その後情報を集める中で「現地の求め」と「GTSの受け入れ先としての状況調査」の両面の判断でカンボジアへと行き先が変更された。**

 で、今回バンコクはバスの車窓から見るだけ。2度目のバンコクであるが、バブルがはじけたタイでは、建設途中のビルや工事が途中で止まった高速道が目に付き、心なしおとなしく見える。バンコクのホテルに到着チェックイン。そして夕食。もちろんタイ料理。辛いのは平気だが、においのきつい香草は苦手、しかしホテルの食事だから皿に取る料理を間違わなければ比較的苦もなく食べられる。

 その後、明朝のカンボジア入りに備え休養ではなく、シャワーも浴びないですぐに2時間半に及ぶ【研修T】である。

 まず、湯浅顧問の「GTSとは」というミニ講演。

 フィリピンのスモーキーマウンテンから毎年ご参加とのこと、「民間外交は最大の防衛」「国際貢献・協力は"星(地球)づくり"を直接できることであり、国境を越えた直接民主主義」「"幸せ"には3段階ある。@もらう幸せ=赤ちゃんの幸せ、Aできる(自分が何かを達成する)幸せ=子供の幸せ、そこから一歩進んだB与える(人の役に立つ)幸せ=大人の幸せがあると思う。今回のGTSでは、大人の幸せを感じてほしい」とのこと。(徳島JC立木直前のメモより)

 その後、約10名ずつ6班に分かれてグループディスカッション。課題は@四国地区GTSへの提案A四国地区として国際協力をどう考えるかBJC活動や日常生活に(GTSで得たものを)どう活用するかでした。みんなしゃべるしゃべる、無口な私も刺激されて少々語ってしまいました。11時に研修が終了。

【気づき】 異国へ来たことを確認、仕事もできない状態なのであるから、必ず何かを持ち帰るべきと再確認した。

【LOMで活かす事】金と時間を使った事に対して、自らが負うべき責任について話をしてみたい。

 同室の中筋ブロ長と交代で風呂に入ってやっと12時半頃ベッドに入る。

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 で、今回の「カンボジア」についての基礎知識を

この国は、15世紀にタイのシャムによって王都アンコール(アンコールワットの)が陥落してから、カンボジア王国は隣国のシャムやベトナムによって領土を侵食され長い両属状態に陥った。その状態の解決策としてカンボジア王国は、アジアでの植民地拡大をはかるフランスと接近して保護国となることを決め(19世紀半ば)、今度は100年近い植民地時代が始まった。第2次大戦後の解放運動により独立を果たすが、経済政策の失敗等で不安定な政権が続き、数度のクーデターや内戦の後、暗黒のポルポト政権(75年〜79年)に至った。ポルポト政権下では、それまでの文化や宗教、生活習慣、すべてが否定され、国民700万人のうち300万人以上が殺され、僧侶から芸術家、技術者、教職者の多くが(9割とも言われる)殺されてしまった。すなわち、すべての面で精神的なよりどころを失ったといえる時代である。その後ベトナムの支援を受けたカンプチア救国民族統一戦線は、ポルポト派からプノンペンを解放し、「ヘンサムリン政権」を樹立したが、最近までタイ国境に逃れたポルポト派の残党はゲリラ活動を続け現カンボジアにも大きな影響を残している。未だに続く「地雷撤去作業」や、国連ボランティア計画(UNV)から選挙監視員として派遣された中田厚仁さん(当時二十五歳)や文民警察官としてPKO活動していた高田晴行警視(当時三十三歳)の「二人の日本人が相次いで貴い命を失った事件」は記憶に新しいところである。

 ポルポト時代はカンボジア社会に多くの問題を残しているが、特に教育に関しては、同時期に多くの教師が殺され、施設面でも校舎が収容所になるなどして教育を受けられない時代が続き、その後も教育環境の整備が遅れ、長い間教育を受けられない状態が続いたことによって、極めて大きな傷跡を社会に残しているといえる。現在に至っても就学率は低く、教師もその低賃金ゆえに全国的に不足している(プノンペン辺りで平均的一家族の月の生活費が100$程度かかるのに対し教師の給料が1ヶ月15$から20$である。生活苦からアルバイトをしたり離職したりする例が多い。ちなみに華僑の工場で単純労働をしても40$になる)。また他の社会基盤整備に優先して予算が配分されることから学校で使う教材なども圧倒的に足りないとのである。教科書については、一応ユニセフが無料配布を行っているとのことで、基本的に教科書は無料で支給される。しかし、一年が終わると生徒は学校に教科書を返し、それを次にその学年に上がる生徒が使うため、中にはボロボロの教科書があるようです。20ページから始まる教科書が使われていたりするとのこと。

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2月26日(土)【いざ、カンボジアへ】

翌朝は4:30モーニングコールにて起床。食事はホテルのモーニングです。香草のかかったお粥など一部を除いて腹ごしらえ可能な味。カンボジアの食事に対する不安から妙に食が進む。まだ暗い6:00すぎにホテルを出て空港へ。バンコクからプノンペン・ポチュトン国際空港へは、1時間少々のフライト。

 とても、簡易な造り?のポチュトン空港に降り立ち、事前の交渉がうまくいっていたのか、タイ入国の際のような問題も発生せず、プノンペン入り。先乗り隊の冠副委員長らと会う。

 5台のミニバスに分乗し、一路向かうは「トゥールスレン博物館」【研修U】

 ここは、プノンペンの中心部からほんの少しはなれた、ポルポト派の残虐行為を後世に伝える「虐殺博物館」である。もとは高校とのことであるが、教室の中はその面影もない。社会主義革命を妨害するスパイと見なされた罪なき人々を収監し、拷問によって罪を認めさせる為の収容所である。

 外見では、古い学校。鉄棒らしきものもある。建物の中に入る、ここから生きて帰ることのなかった人々の写真が壁一面に。収容された数万人のうち、生還したのはわずかに6人だという。教室の中にはレンガを積んで作った独居房があるものもある。一畳一間携帯トイレ付き(ティッシュの箱ほどの)。一方、VIPルームは教室一つを使って広さは十分。しかし、解放時そのままに置いてあるベッドにマットはなく、鉄の網と手足をつないだ鎖がある。床にはいまも血の染みが残っている。拷問器具(実際に使ったやつ)や拷問・虐殺の様子の絵、そして、最後の教室には頭蓋骨で作ったカンボジア地図思わずカメラのシャッターを切ることをやめてしまった。出口付近には、地雷で手足を失った物乞いたち。解放まで死刑場「キリング・フィールド」への出口しかなかったこの「トゥールスレン博物館」で、正義の力がふつふつと滾るのを感じながら、バスで訪問先アングタプレ村へ出発となる。その正義の力はバスの中でも、SVA(現地受け入れNGO)の加藤代表、同職員通訳への質問に繋がる。

【気づき】自由がなによりもまして必要なこと、他の者の人権を侵害しない限り自由は最大限認められるべき。

【LOMで活かす事】役職や立場、また仕事上の力関係があっても、そして、なにより考えが大きく異なっていても、その意見に対して、聞けるだけの度量を持つべきことを伝えたい。まったく賛成できない意見であっても、それを発言する権利は認める、そんな組織・社会であるべきことを伝えたい。

【アングタプレ村へ】

 プノンペンのまちを抜けて村へ、途中で目抜き通りにある[日本大使館]をみる。官庁や銀行・大使館など立派な建物が多い町の中でも、ひときわ立派である。

**立派すぎ**

 案の定、加藤さんは「大使館で夜のライトアップをやってるのは日本くらい。例のペルー大使館占拠事件以来、どの国もかなりまわりに気を使っているのに…」

 まちなかはクルマやバイクの通行量が半端ではない。バイクはタクシー代わりに使われており、3人乗りは当たり前、中には4人乗りも、子供を入れると8人乗りのバイクも見てしまった。トラックもタクシー代わり、荷物の代わりに人を運んでいる。一般的に弱気な運転手は見かけない、クルマが怖くないのか、バスに乗る私たちが怖いくらいの無謀運転、コワイという感覚はないらしく、バイクもほとんどノーヘル。「人命よりヘルメットのほうが高いんだろう」なんて冗談もバスの中で飛ぶ。道ばたには、自動車のパーツ屋さんやペットボトル入りのガソリンが無造作に並べられた危険なガススタンドがある。大洲の沖村理事長が廃車を買いに来る外国人の話で場を和ませる。

 また、街の中に子供がたくさんいる。事前の情報では、小学校さえ卒業出来るのは恵まれている(小学校卒業率は18%)とのこと、やはりと思いきや、説明では「学校も足りない、先生も足りない、だから小学校でも2部制・3部制を採っていて、今ふらふらしているのは、違う時間帯に学校に行ってる子供達でしょう」とのこと。

 さて、目指すアングタプレ村は「まっすぐ行って、山が見えたら右」という至極簡単な説明、それでわかるほど山は少なく、これも納得。また、その山はポルポト派の残党が数ヶ月前にまだご活躍だったとの話しも。プノンペン近郊にありながら周辺に2・3年前までは確実にポルポトの残党が潜んでいたという村でもあり、政府やUN・NGOの手が入らず、全ての面で整備が遅れているとのこと。これまた納得しながら加藤代表や通訳のユウ君と話をしながら村へと車は走る。

【交流事業T】村へ着くと、村人総出と思わせる歓待を受ける。寺院の敷地の入り口辺りからコミュニティの人や生徒達が、列を作って拍手で迎えてくれた。

【気づき】村の方々から歓迎を受けて、私たちに何ができるのか?トレーニングをさせて頂いてるという謙虚さは必要であるが、トレーニングだからという甘えは禁物である。

【LOMで活かす事】「日本人を代表してこの村になにがしかを残したい。」そういう気持ちになったことを伝え、様々な場面で期待に応える=満足感を味あうJCを再確認したい。

 寺院内のテントの下で、椰子の実ジュースと僧侶と村の代表者、正装のなぜかこぎれいな少女達だけの(粗末な服の子供達は、近寄ってくると叱られる)歓迎レセプションに続く。今夜の寝床は、屋根と柱のみの礼拝所である。ござとタオルケットに蚊帳が一人に一つずつ。荷物を移動してカンボジアの職業訓練開発施設で作られたそろいの帽子とTシャツに着替える。

 個性のある香りのする昼食に続き、僧侶・村の代表・SVA職員から村の歴史や現状を聞く【研修V】。

【気づき】ポルポト派の負の遺産を負う村の現況を知り、自由主義と民主主義を守らなければならないと再確認。

【LOMで活かす事】考え方が違っても、発言を必ず受け入れる、そういう体制を守るべきと皆で確認をしたい。

 その後、各自が現状を理解した上で、現地NPOと現調で事前に把握し村・学校で必要とされている事業を3班に別れて行う【貢献事業】。

@柵作り(校内の農園と植樹した植物を守るため)

支柱はすでに立てられていて、それに有刺鉄線をつける作業。

A農園作業(カボチャなどの種をまく)

  粘土質の固い畑を耕してカボチャの種を植える作業。小豆島からはどてカボチャの種も持参された。翌日には、豚がほじって食べてしまったそうですが…。

花壇に花の苗を植える作業もした、花壇の花で、子供達の情操教育に役立てたいという校長先生の意志らしい。

B植樹(換金作物の出来る苗を植え学校に現金収入を)の3つの作業。

  植樹する穴はすでに掘られていて、そこに乾燥牛糞の肥料を入れ、椰子の木やパパイヤの苗を 植えて行く作業。

 で、気づいたのは、運動場や花壇も、校舎の回りもやたらにゴミが落ちている。これはイカン。宇和島の埃、ゴミの武田としてはこれは許しておけない、価値観の違いを考えて、篭を持ってゴミを拾っていく、皆が競い合って拾いはじめ、比較的きれいになったが、そのゴミの捨て場所がない、結局塀の外の窪地に捨てる羽目に、なにやら意味がないと思いながらも、苦笑いでありました。なにせ言葉が通じないのと、ゴミに対する意識が全然違う。まぁ、しかたないかというあきらめの状態になる。

【気づき】土づくりという概念がないのか?塩ビ等の土に帰らない製品の処理という知識がない。

【LOMで活かす事】目先のことではなく、長い目で見た環境(生活・教育等々)づくりが必要。長期的視野に立った、政策の立案や優先順位付けが必要であることを改めて伝えたい。

 ひとしきり作業を終え、夕方からは、夕食を兼ねた【交流事業U】。寺院の中は、アルコール厳禁である。私たちの訪問に合わせて、村の祭りも寺院近くの広場で開かれている。日本側からは、讃岐うどんの提供、阿波踊り・よさこい踊りの披露があった、愛媛のお調子者は現地の音楽(カンボジアン生バンドの演奏)で先頭になって踊る。すべての出し物に積極参加する。愛媛ここにあり。みんな得意、負けてたまるか。お祭りは深夜まで続く。現地スタッフに聞くと「朝までやる」との事だが、疲れた体にはまつりの喧噪も、子守歌のように…。

【気づき】音楽や踊り。食事さえ口に合えば、そして少量のアルコールがあればもっと交流が進んだかな?

【LOMで活かす事】一層、楽しいJCを実現するよう努力したい。

 透明に見えるがなにかが浮かんでいる、当然口も濯げない水を浴びで10時過ぎには寝る。トイレは、寺のはずれの空き地に、竹で骨組みを作り、ブルーシートを貼ったもので、一つの部屋は半畳ほどある。使用後柄杓で水を自分で流す「水洗トイレ」で屋根はないものの、鍵もある。針金を竹に引っかけて止めるというもので、風でドアが開くが、男の私ゃ気にならない。女性メンバーは適わないだろうけど。

**と、女性メンバーの1人は、熱射病か何かで、プノンペンに帰ったと聞く。お大事に。と正直思いました。**

翌朝の起床は5時半。

2月27日(日)

5:30起床。6:00から寺院で読経。仏典に暗い私は、聞いたようなフレーズもなく、沈黙の【研修W】。 説法に心打たれることはあるが、日本のお経もほとんど理解できない。約40分。

【気づき】なにゆえ、仏教が村人の精神的なよりどころとなりうるのか?日本のお経は、ほとんど理解できない、説法に心打たれることはあるが、信心の浅い私などは、お経は耳に入りにくい。このお経は、どういう意味があるのだろうか。村人達は理解できる文言を使っている経文なのだろうか。できれば、日本で言うところの説法を聞いてみたかった。

【LOMで活かす事】如何に、重要な事柄を含むスピーチであっても、わかりやすくなければ、意味はない。わかりやすい言葉で、伝えること。

 その後、また個性の強い香草ののったお粥を中心とした朝食をとり、周辺のゴミを掃除する。

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 ゴミの話で、一言。基本的にゴミはポイ捨てのようだ。たまったら村の片隅で焼く。それが常識のよう。今回JCメンバーは普段の事業でもそうするように携帯灰皿を持っての参加でした。ところが、吸い殻を丁寧に携帯灰皿にしまうメンバーを見て、村の人が「日本人はそこまでケチだから経済発展したのか」と言ったとのことです。

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 その後は、楽しみな8:30から子供達との大?運動会【交流事業V】。昼中になると熱いので、スタートが早い。プログラムも立派、事前に競技の練習もされているが、校庭はゴミが一杯。キャンディーも争って取り合い。メンバーと子供達を交え3チームに分け、対抗戦で開催する。ゆで卵スプーンリレーに参加。追いかけタマ入れでは、篭を背負って走る。なぜかみんな私の篭に入れてくれない。やはり、県レベルの走りは他を寄せ付けないのか。疲れた井原副会長や山西ブロ長に集中攻撃。ボールをバトンにしたリレーや袋に足を入れてジャンプしてのリレー、棒を横一列で持って走るリレー。なんと、洗面器の水を口に含んでペットボトルに移す肝試しもあり、なんとも楽しい時間。

 しかし、子供達は先生の指示で極めてスムーズに動く、けっこう練習をしているような。あっという間に全プログラムを終了。けが人もなく、無事終了です。

【気づき】校庭もコミが一杯。キャンディーも争って取り合い。心がすさんでいるとも思わないのに…。

【LOMで活かす事】住むものは、その村の良さを知りにくい。また、その村の問題点もつかみにくい。他人の言うことに耳を傾ける、そういうJC活動、JCのまちづくりに取り組むことを改めて伝えたい。

 その後、各チームを5人ほどのグループに分け、教室で平和への願いを表す千羽鶴づくりと似顔絵描き【交流事業W】。ここでも、事前の指導がうまくいっているせいか子供達はとてもうまい。ただ、またここでも教室の外から覗いている相対的に服の汚れの酷い子供達は、色紙を渡しても折れない状態。

 また、折り紙などを配るのに、喧嘩にはならないがここでも折り紙の取り合い。画用紙も取り合い。クレヨンは自分の机の中にしまい込む。屈託のない笑顔の奥には…。

【気づき】折り紙も取り合い。画用紙も取り合い。クレヨンは自分の机の中にしまい込む。足らぬことがこうさせるのだろうか。否、同居する貨幣経済がこうしたのでは無かろうか。

【LOMで活かす事】コミュニティーを考える上で、それぞれには経済的な格差やそれに伴う負担の問題がスタートにある。その問題をクリアするためには、価値観を変えるほかない。

 昼食を挟み、急遽SVAの提案により、村人との意見交換会。村の方からのお礼などの後、トップバッターで問題提起。日本にあるものとこの村にあるもの。物の豊かさと裏腹に日本人の失った豊かさについて話しながら、得意のゴミの問題をちくり。土に帰るゴミは良いゴミ、土に帰らないゴミは悪いゴミとして通訳しやすいように簡単な言葉ですごく気を使ってスピーチ。なかなか、良い方向で後が続く。通訳の能力不足もあり、通訳を介すことによって倍の時間がかかったにしては話が進まない意見交換会。

 その後、クロージングセレモニー【研修X】。

ある者は家庭で子供と一緒に(西村理事長は、ご家族と作業をして、プリクラのシールを貼ったりペットの写真を貼ったりして、メッセージを書いて完成させてくれた)、ある者はこっそりと隠れて?クメール語のシールを貼って持参した絵本や文房具、また私たちの事業費で復刻したカンボジア語の絵本と木製の箱入りの移動図書館、また滞在中に試用した蚊帳や寝具、樹木等の贈呈式を行った。約30時間くらいの滞在だったが、疲れもありとても充実した時間を過ごせたように感じた。

 最後に代表による記念植樹も無事完了。5時前に村を後にする。お見送りを受けるが、なにやらホテルに帰ってシャワーが浴びたいという我が儘な気持ちが起こってくる。けっこう社会復帰は容易いようで…。

【気づき】日本にあって、この村にないものはたいへん多い。でも、この村にあって、日本にないものもあり、それがとても大切な物であると思う。 

【LOMで活かす事】どうしても教師や公務員の賃金評価や国家予算の配分先の問題から、地域の問題が解決できない状態でいると思う。限られた予算の中で、私たちの属する国家・自治体・組織の予算の使われ先について、いまいちど長期的視野を大切にしたい。

 来た道を帰る。また、無謀運転の嵐の中を経て、ロイヤル・プノンペン・ホテルへ。とても立派なホテル。6時半頃到着。茶色い水のシャワーを浴びて解団式に臨む、各ブロックの代表が感想を述べ、LOMごとに修了証を頂いた後、なぜか決意表明を仰せつかる。事実を事実として伝えるという趣旨の決意表明。参加者が持っていった頭の中味は当然違うし、物事を如何に見るかもそれぞれ違う。感じ方もそれぞれ違う。しかし、私たちが共通に出来ることは、謙虚な姿勢で、真実を伝えることである…。と。

解団式の後は、懇親会。壁の外のカンボジアとは別のカンボジアです。噴水があって乾期の田圃とは対照的に青々とした芝生のある庭でガーデンパーティー。適度に飲んで、ホテルのラウンジで2次会をと尋ねて回ったが、もう閉店が近く、おとなしくベッドに入った。

 総論は、3月例会でお話ししたとおり。こんなところで勘弁してください。

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カンボジアに絵本を送るNPOの窓口(今回一緒に活動を続けた団体です)

 SVA「絵本を届ける運動」係

    〒160−0015 新宿区大京町31 慈母会館3F

    TEL/03−5360−1233

    

FAX/03−5360−1220

 **個人でカンボジアに直接支援することはなかなか難しいのではと思いますが、

     すでに活動して成果をあげている団体を支援することは、容易くできます**

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下記は、現地とのメールのやりとりでお答えいただいた情報です。

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1.教師の給与は、15ドルから20ドルと聞いたのですが、いくらほどですか。

●15ドル〜

20ドルは日本円にすると1600円から2200円くらいでしょうか。カンボジアはアジアの中では物価が高い国です。特にプノンペンで生活するには一家族最低でも100ドル(11,000円)は必要とされています。ですから教員の給料だけでは生活が出来ません。田舎に行けばもっと安くなるそうです。(田舎の先生が言っていました。)98年の選挙の後なかなか国会が開かれず、そのために選挙から国会開催までの3ヶ月間、公務員(教員を含む)の給料がストップしていました。

そこで教員が何をするかというとアルバイトです。一番頻繁に行われているのが課外授業です。授業以外の時間に課外授業を行い、生徒から一日に

200リエルから500リエル(5円〜14円)をもらっています。この課外授業ではテストで出す問題を教えたりするそうです。また課外授業を取らない生徒に悪い点数をつけたり、けなしたりする教員がいるらしくて問題になっています。中には教室の中でお菓子を生徒に売り付ける教師もいるとか。その他にもモトタクシーのドライバーをする教員もいます。学校外で別の仕事をしている教員は授業も休みがちになり、そのために生徒がやる気を失い、留年・退学する原因にもなります。教育省もこれを問題としているのですが、「給料を払えない国が悪い」といわれると反論できない様です。

最近はプノンペンを中心に「教育ママ」も増えてきて、子どもにいい成績を取らせるために先生の前の席に座らせようとがんばっているようです。そのために「先生のまん前の席に

10ドルほどの値段がつけられているとか」親がお金を払って子どもを前の席に座らせれば、授業の時も先生がまめにノートを見てくれるとか。   −−−カンボジアの教育裏事情です。−−−

>>

2.警官やその他公務員はどの程度の収入がありますか。

●公務員はどれも同じ15ドル〜20ドルです。だからカンボジアの警察は何もなくても道路で車を止めていちゃもんをつけては金を要求します。私は自転車に乗っていたら捕まり、5ドルを要求させたことがあります。その時はガンガンに怒って支払いを拒否しました。奥山さんは車を持っているだけに捕まる常連です。−−−公務員の8割は賄賂をもらっているといううわさです。−−−

>>

3.高級官僚の場合は?

●先日政府の次官補と話をしました。その時に給料が月110ドルと言っていました。

>>

4.学校の教科書はどうなっていますか?無償で全員に配付されていますか。

●ユニセフが教科書の無料配布を行っています。ですから基本的に教科書は無料で支給されます。一年が終わると生徒は学校に教科書を返します。それを次にその学年に上がる生徒が使います。しかし中にはボロボロの教科書(使いまわすため)があるのも事実。この間小学1年生の子どもに教科書を見せてもらったら20ページ目から始まっていました。

>>

5.今回移動図書館の協力を致しましたが、学校の図書館みたいなものは、どの程度整備されていますか。子供一人あたり何冊あるとか言う資料はありませんか。

●図書館事業の必要性という資料を添付しました。これにヒントがあると思います。あんまり整備は進んでいません。

>>

6.文具等について、日本から送って学校で配付していただけるような物はありますか。

>>

7.文具等について、日本から送るよりも、そちらで購入して子供達に配付する方がよいのでしょうか?

●カンボジアで大体のものが購入できます。しかし文房具の配布で問題になりますのが「平等性」です。学校にいる子ども達すべてに平等に配布がされないと子供達の間で問題が起こります。ですからなるべく文具の寄付はお勧め出来ません。

>>

8.宇和島青年会議所では、意識啓発のためにも、SVAの絵本事業を各家庭で取り組んではという考えでいますが、実際には、カンボジアの絵本を購入する資金を提供させて頂いた方が良いでしょうか?

●カンボジアでは市場や本屋で絵本が販売されていません。絵本を出版している会社が1社もないからです。

SVAのようなNGOが数団体出版を行なっているだけです。1社だけ子ども向けの雑誌を発行しているところがありますが、絵本ではありません。ですからカンボジアで絵本を購入するというのは難しいです。

>>

9.タクシーの運転手さんなどの収入はどの程度なのでしょう。

●車のタクシーは大体100ドル前後と聞きますね。モトタクシーは1回のって500リエルから1500リエルなので(14円から44円)、1日1ドルから3ドルの間ではないでしょうか。

>>

10.都会であるプノンペン辺りのサラリーマンでどの程度の収入を得ていますか?

●100ドルから200ドルくらいではないでしょうか。

>>

11.外資による縫製工場等の進出があるようですが、そこらの女工さんでどの程度収入を得ていますか?

●勤務期間にもよりますが40ドルくらいから始まるそうです。しかし働く環境は良くなくまさに女工哀歌。先日聞いた話ですが、プノンペンは都会なので女子の中学進学が多いと思いきやそんなに伸びていないそうです。それはずばり小学校を卒業後に縫製工場に働きに行かされる女子が多いため。それと同時に

10代の妊娠が問題となっているとか。小学校で性教育を行っていないので何も知らず社会に出て、妊娠してしまう子供が増えているそうです。社会問題ですね。

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