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2004/ 11/06 メルマガ創刊号 |
一緒に、地域の未来を考えませんか? 「 変わらなきゃ、宇和島!」 武田元介のまちづくり講釈 メールマガジン版 ============================================================ 2004/11/06 創刊というのに(一部改変しております) まったく、モチベーションが下がっております。 極めて「私」に走った生活を送っております。 管理人をしているメーリングリスト「uwajima_dmlうわじまづくり会議」も投稿が滞ったままです。 メルマガの発刊許可からも、すでに2カ月も経ってしまっています。 お待ちいただいた方がいらっしゃるとすれば、たいへんお待たせいたしました。 さてさて、この2カ月のうちにいろんな事がありました。 津島でも松野でも、宇和島も1市3町(宇和島市・吉田町・三間町・津島町)の合併枠組みに戻って 合併協議を始めるなど変化がありました。 津島町と松野町の住民運動、そして、それに対する首長・議会の対応など、 対比してみるととてもおもしろい構図が見えて参ります。 その辺りも触れてみたいのですが、松野町が選挙前であることから、 後日機会が有ればと言うことでご容赦願いたいと思います。 アメリカの大統領選挙、制度上の問題を指摘するところもありますが、 現職が勝利を収めました。 ここからのネタ振りは、民主党対共和党の政策論争よりも、 そのネガティブキャンペーンからネタに入って参りたいと思います。 当地宇和島では、1市3町の合併期日が、 当初予定の(2005年初頭=現宇和島市長任期いっぱいで次回を新宇和島市の市長選挙とする) 目論見がはずれ、 1月〜2月頭に現市長選挙が行われ、 8月以降の合併後に新宇和島市長の選挙という1年の間に2回(現市と新市)の 首長選挙が行われるということになります。 拙速な合併協議を望まない私としては、 選挙費用が、何千万(2千万程度と聞いたことがありますが・・)余分にかかったとしても、 現宇和島と新宇和島の市長選挙を一回で済ませる(当初石橋氏は主張していましたが)ことは、 近視眼的なことと思います。 おっと、ここではそんなことより、この数日のうちに耳に入った、 現職へのネガティブキャンペーンについて述べたいと思います。 選挙前に、ネガティブな情報を市民の目に触れさせること、これはフェアーでしょうか、 出すべきでないと申しておるわけでありません。 失政が有れば非難されるべきであり、 その責任は選挙の場でも問われるのが当然のことであります。 しかし、「ちょっと待てよ」であります。 考えて見て下さい。 その失政を事前に止められるもので有れば、その失政を知り得た者は、 適宜にアドバイスしたのかと疑問は持ちませんか? また、誤りのあった直後に傷口が深くならないうちに、政策転換を求めて、 自らの主張をぶつけたのか?と言うことであります。 なぜ、現職に対してネガティブな情報が、この段階で出てくるのでしょうか? 一市民として、もっと言えば、 現職の失政を知りその「誤り」たる事柄を指摘できる立場の者がそれを黙っていたとしたら、 それは市民としての権利を放棄したものであり、 あるいは、果たすべき義務(ここでは、ノーブルオブリゲーション的)を果たさぬ罪を犯したとさえ 感じるのです。 「批判なら誰でも出来るという」子供じみた指摘をするつもりは一切ありません。 対立候補(特に為政者たる現市長)に対して、ネガティブな情報を持っている者は、 すぐにでも政策転換のために、その失政を指摘・糾弾すべきです。 一刻の猶予はありません、 「是ハ是、非は非として」市政に対して、常にあるべき姿を主張できる。 そういう候補が選挙で戦うべきと思います。 ネガティブな(特に失政に関して)情報を出す時期を見計らうような者は、 公目的の戦いに於いては勝利するべきでないと思いますが、みなさんは如何お考えですか? トップが変われば、会社は変わります。 宇和島も、前回の選挙でトップが変わって、なにがしかの変化があったと思います。 しかし、こんな変化で満足はしていられません。 選挙を考えた姑息な政策転換をしない、ダイナミックに地域の将来を考えられる。 一期で完全燃焼できる人物こそ、新しく市政を担うべきものであると考えます。 編集後記 極めて、「私」の生活をしている武田がこんな事を申し上げるのはとても生意気なことかと思います。 9月に大分でトライアスロンレース、 10月に四万十のウルトラマラソン。そんな楽しみを優先させる私であります。 知己の先輩には「ふぬけになった」と笑われたり致しております。 地域のことを考えていない訳ではないのですが、 少々、どろどろとした政治の世界を見聞きすることが増えた関係で、 そんな世界と一線を引いた武田でありたいと、思っているのもあるのです。 政治屋不要、志を持ちよりよい政に命をかける者こそ、 市民の付託を受ける立場の者と考えます。今後とも、よろしくご指導下さいませ。 ============================================================ ■編集:武田元介 ■発行:武田元介 ●購読申し込み:http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/melmaga_top.htm ●購読解除:http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/melmaga_top.htm ●関連ホームページ: あるJCOBのトレーニング日記 http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/index.htm ●ご意見・お問い合わせ: mot-take@mxi.netwave.or.jp 当メールマガジンに掲載された記事は自由に転載・再配布できます。 但し、記事の一部を取り出したり改変しての転載を禁じます。 なお、メーリング・リストや掲示板への再配布もご自由にどうぞ。戻る |
2004/ 8/25 あら唐突に1市3町 |
【経緯】 3月 1日に1市3町合併に向けた住民説明会がありました。 これを最終として、10月 1日に新市「宇和島市」が生まれると言うことでした。 ところが、その末に出てきた、津島町の平成16年度予算案などが波紋を呼び、 4月 7日には、宇和島市が1市3町の枠組みから離脱と報ぜられました。 その後、4月19日に宇和島市が1市3町の合併協離脱の経緯を説明する住民説明会を実施しました。 1市3町の合併が不調に終わったことの責任をとる形で、 津島町の曽根町長が辞職、兵頭議長が議長退任されました。 そして7月末の津島町長選。 合併推進を訴え、町長選挙を合併の賛否を問う住民投票の意味を持たせると主張した、 赤松氏(前助役)が当選。 8月16日に四市町の合併懇談会が開かれました。 その結果から、市長が1市3町の合併協議再開を決めたと報道されております。 【本文】何故、1市3町の合併協離脱があり、 町長が替わって持たれた四市町合併懇談会の後、 「合併に向かう精神を示してもらったことで、1市3町合併に向かう条件は満たしたと考え」たのか、 私には全く不明であります。 今にいたって、 3月末までの交渉(1市3町の合併協議の)がいかほどのものであったのか伺い知れるというものであります。 その上に、宇和島市の石橋市長は「住民に説明したい」と言われているが、 なにをどう説明するというのでしょう。 津島町の精神を市長が宇和島市民に説明するというのでしょうか? 合併協離脱が唐突に出できた話であるのと同様、 これまた、青天の霹靂という言葉がふさわしいほどに、 市民が聾桟敷(差別意識は持っておりません)におかれた決定であると思うのは私だけでありましょうか? 新町長の下、1市2町。 あるいはあったとすれば県の指摘を真摯に受け容れ、 改革方針を示す津島町と、話し合いの扉を閉ざすことは賢明でないことは百も承知で申し上げますが、 またもや、先の轍を踏んでしまう気がして成らないのです。 16日の懇談会では、市が突然の合併協離脱を表明するまでの1市3町の法定協議会のごとく、 たんたんと議事が進められたと言います。 なにゆえ、その場で知らされた事実に対して、疑念が生じないのでしょう? 事前に情報が配信されていたとすれば、その情報の裏を掻くような、 辛辣なやりとりが何故成されないのでしょうか? 日本人は議論下手と言われます。 しかし、参加諸兄には、議論の技術全てを駆使して、 私たち市民の疑念をはらすべく、真剣な議論を開かれた場で、 行っていただきたいと思います。 さてさて、よもや、選挙のことを考えて後込みなどして居るわけではあるまいな。 知事の顔色を見て、思ったことも言えずに居るわけではあるまいな。 津島町と宇和島の対立点を隠すから、 知事の発言におびえなければならないのではないでしょうか。 対立点を示し、宇和島の主張と津島の主張を公にし、どこへ落とすのがよいか、 市民・町民一体となって考える。 そういうスタンスをとれば、 知事の心証もまったく違ったものになっていたのではないでしょうか? うがった見方をする方々は、一方に組みする知事が、 大所高所から判断すぺき役割を果たしていないと言います。 加戸知事に、そんなことがあるはずがないと思う私でありますが、 百歩譲って、たとへそのようなことがあったとしても、 その原因を作ったのは、宇和島でありましょう。 宇和島が、津島町の主張との間にこういう対立点があり、 解決に難航している案件がこれだということを、 住民にも示さず、 知事にも相談できなかったこと。 つまるところ、それが、今回の1市3町合併に関する、 知事の発言の基にあると思うのは私だけでしょうか。 筋が通れば、 知事が住民の意思や首長や議会の主張を無視して圧力を感じさせるような発言をされるはずがないと思うのです。 義務教育費に関する知事会答申案への主張、 その筋の通った発言を、とても頼もしく思ったのは私だけではないと思います。 宇和島市の関係諸兄には、今一度、自分たちが公でその場にいることをお考えいただきたい。 腹を切る覚悟とまでは言わないけれども、腹をくくって、 自らに恥ずる事なき決定をしていただくことを切望いたします。 その前に、今回の件、自分に決定権が委ねられているかどうか、考えるべきと思いますが・・。 戻る |
2004/ 6/19 なぜ、対等合併なのか? |
新聞によると宇和島・吉田・三間の3市町は、対等合併で合併を目指すとのことでした。 この機に及んで、何故、対等合併なのでしょう。 私には、納得できる明確な理由が思いつきません。 体裁だけの「お互いを尊重して」等という理由なのでしょうか? 「なぜ、対等合併なのか?」そう感じるのは私だけでしょうか? 私がそう考える理由は、 旧1市3町の法定の合併協議会で話し合った時間は何のための時間で、 何を以て合併を良しとして、 最終の住民説明会にまで臨んでいたのかと言うことです。 数十件(小項目を入れるともっと莫大ですな)に及ぶ協定項目について話し合いがなされ、 妥協などしたものを含め各種案件の決着は付いているはずです。 枠組みが1市2町になったとしても、 ほとんどの項目でその旧1市3町の合意点に決着させるとして問題なく協議は進むはずです。 ですから、 この旧1市3町の枠組みで成された合併協議を活かすためにも、 体裁にこだわらず、協定項目の多くを確認事項で進め、 簡略化した上で、 実際に協議が必要な部分(妥協があった部分や1市2町と1町の意思が衝突した部分)に 時間を使っていくことを考えると、 編入合併で合併協議を進めて頂きたいと思うのです。 20〜30に絞られると言う、 法定協の協定項目の中にも再度協議が必要なものもあるでしょう。 また、編入合併とはいえ、編入される町村の良いところは残し、 また、特有の条件があればそれに配慮すると言う当たり前の姿勢も必要でしょう。 しかし、今になって(合併特例法の適用される期日をにらんだ合併とするなら)、 ここで私たちが決断しなければならないことは、 なにを大切にしなければならないかであり、 それを良く見極める必要があるのではないかと考えるのです。 編入合併の形式を取り、 今までの対等(新設)合併の協議で成された話し合いを活かすことが最も効率の良い合併方式と考えます。 旧1市3町の合併協議は、 実状と乖離した「対等という概念」でもってご破算にされたと考えるのは私だけでしょうか。 「対等と言っても、実際は・・・」と言う宇和島 「対等と言いながらも、・・・」と歩み寄る吉田・三間 「対等だろう。だから・・」と言う津島 松野町の表明に対しても、同様に対等合併で迎えることを検討されるのでしょうか? 逆に、松野は遅れてきたのだから、他の2町とは別に編入合併で検討されるのでしょうか? 新1市3町にしても、旧1市3町にしても、 実状は宇和島への吸収合併(編入合併)でしかないと考えます。 自主財源の大きさは、何にも変えられない地域の力です。 国からの仕送りははっきりと減っていくのです。 要は、1市3町あるいは、津島が加わった1市4町で、 将来を見据えた議論がどれだけ出来るかではないですか? その為に、合併協議の場でどなたかが強力なリーダーシップを発揮され、 開かれた対話(自由を希求する民主主義的手続き)がなされること必要であります。 旧の「1市3町」の合併の話し合いにはそのどちらもが存在しなかったのです。 石橋市長> 松野からの正式な申し入れがないから、コメントできないというのでは、悲し過ぎやしませんか? より大きな合併を指向すると言うことが持論なので有れば、 松野町も広見町も、たもとを分かつことになった津島町も含めて、 合併について市長としての見解が示せるだけの準備をしておいて欲しいと思います。 私なら、今回の合併はリストラのための合併とわりきり、 とりあえず旧市町単位で制度を残せるだけ残します。 メンバーが納得した事務事業についてのみ統合いたします。 それ以外は、今まで通りとします。 その後、今まで通りでは、やって行けないということをそれぞれが思い知った段階で、 すなわち多くの案件を統合して効率化する必要性が見えてきた段階で、 やっと、歩み寄り合意がなされるということになっても、 それはそれで、 「各々の地域の代表者の意思であったのだから仕方がないこと」 と考えなけれぱならないのではないでしょうか。 主張が違う点を短時間の間に無理してすりあわせて合意する必要はないのです。 (法的に最低限合意が必要とされる項目にさえ疑問を投げかけて良いと思います。 それが、自治の基本であります。) 「今のままの予算配分(国と地方、地方と地方、都市と地方)で、 やっていけない状態だから、リストラして再生を図ろう」という、 何故合併なのかと言うスタート地点に帰れば良いのです。 お金の使い方もダイナミックに変えていかなければ、 今まで通り行政だのみで地域作りをしていては、破綻が見えていると言うことなのです。 再考しましょう。合併のあるべき姿を。 戻る |
2004/ 5/24 「1市2町合併」発言を受けて |
宇和島市が「1市3町」の合併協離脱したことを受け、 1市3町の合併を公約とするなどした津島町の曽根町長が辞意、 兵頭議長が辞任の意思表明をされました。 その身の処し方に潔さを感じ、 (噂で耳にする、今回の合併に関しての一連の言動はともかくとして) 政治に携わる者としての責任感の強さに敬意をもって「こうあるべき」と感じ入った次第でございます。 一方、離脱を表明した宇和島市側は、職を辞せず、 各紙に報ぜられたとおり、三間・吉田両町へ「1市2町」での合併を目指そうという 意思表示をされたようです。 リストラ合併の必要性を強く感じている私としては、 合併を回避するに至らなかったことを歓迎したいところでありますが、 この意思決定に至る過程に問題を感じてしまいます。 まさしく、今回も市民不在 (ひょっとして多くの市民の意見を聞く機会があり、 そこへ参加しなかったのは私だけなのかもしれませんが)の意思決定と感じます。 意思決定の前に市民の意見を聞くべきであり、 その前に、市民の判断のもととなる材料を示すべきであります。 その手順を経ずに、トップが意思表示をしたとするならば、今回もまた、 市民はその意思決定には関われなかったと言うことになります。 幸いなことに、昨今の宇和島市では、比較的健全に市議会が機能していますので、 市議団と相談の上、報ぜられたような意思決定が成されたと考えます。 そうだとすれば、市議さんの意見(市民の意見により近い)と考えられ、 ことさら大きく非難することは避けなければならないかなと思うのも本心であります。 しかしながら、前回の轍を踏まないためにも、 新しい合併協の運営・委員の選任には十分な注意をしていただきたいと思います。 機能しない委員制度の最たるものが、前回の1市3町の合併協であったと感じています。 もっとも、これは、委員の意欲や能力に責めを負わせようとする指摘ではなく、 非公開の正副会長会が実質的な決定機関となり、「合併協」が、 形式的(しかし効力のある)な議決をするだけの場面があった (愛媛新聞等でも指摘され、市のキャビネットも問題とする意見が多い) ことを問題としているのです。 さして、間を置かず始まるであろう、1市2町の信頼関係に基づいた合併協議では、 お互いの主張が対立する事案についてすべての情報を公開し、 それを市・町民がどう見、 どう考えるか、一つ一つ検証しながら、 対立する事案決定の落としどころをはかるべきと思います。 市長・市議団の意思決定のバックボーンに多くの市民、 三間町・吉田町両町民の意思がありますことを祈りたいと思います。 同時に、1市2町、それぞれの地域の主張とともに、 新宇和島市としてどうあるべきか、そういう議論がなされんことを切に祈っております。 未来は私たちとともにあるのです、誰か他の人の未来ではありません。 人の手に委ねておいて良いはずがありません。 戻る |
2004/ 4/20 市立病院建て替えについての私説/ロータリークラブ卓話のレジメ |
本日、ロータリークラブ例会で、30分の卓話をして参りました。 2.機能特化を考えよう
3.医療の質を選ぶのは私達 |
2004/ 4/16 市長の合併協離脱発言を受けて |
石橋市長の1市3町で作る合併協離脱報道を受け、 に投稿した文書です。 私が常に心がけていることは、 |
2004/ 4/12 フラットな立場で比較してみよう/合併枠組み再考について |
本年10月 1日の新宇和島市発足を目指す、1市3町の内 宇和島市議会は自らの合併協離脱をも選択肢の一つとした全会一致決議を行った。 地元紙もその後の経過を毎日のように報じるところであるが、 住民の一人として、 自分事として、 稚拙ながらも強く訴えてみたい。 1市3町は、それぞれが、他を裏切らないように準備を進めてきたのだろうと思う。 宇和島市・吉田町・三間町の不信感に答える形で、 11日付け愛媛新聞朝刊に津島町 曽根町長の取材記事が掲載されていた。 合併協正副会長会での津島側の説明に対し、不信感を拭えないとする、他の市・町はどう主張するのでしょう。 各自治体が各様に合併準備を進める中で、このような事態になったことは悲しむべき事でありますが、 こうなってしまえば、不信感の根拠は何か、それぞれの言い分を並べ、 フラットな立場で情報を整理することが必要と考えています。 再三、述べてきたことにもかかわらず、 精査できないままにおり、とても雑ぱくで恐縮なのですが、 どんな数字を比べてみたらよいのか、羅列してみたいと思います。 ○地方債残高/1人あたり で比べるべきでは!● ○財政調整基金残高(条例に基づ設置された自治体の貯金)これも人口比が良いか?● ○社会資本の整備状況。同一基準で、評価する。(総務省の指針に基づき多くの市や町で取り組んでいるはず。) ○普通建設事業費(特別会計以外の建物・土木工事の費用)の推移● ○有する特別会計の決算状況。損益計算並びに貸借対照表も必要。 ○将来債務の確定(特に合併協議が始まって以降のもの)● それぞれの債務の性格 返済を待ってくれる期間(返済が始まる時期がいつか) 償還期限(いつまでに返さなければならないか) 返済のうち、どれだけの割合(事務事業の分類によって負担割合が決まっている)が国や県から補填されるのかは当然加味する。 そうして、各年度の返済額を積み上げて、将来年度毎の債務の確定が必要である。 ○事業費・事務費・特に補助金等の削減努力はどうか? ○職員数の削減状況はどうか?● ○組織のスリム化 課の統合等スリム化に努力しているか?● ○職員の役職者数推移はどうか?● ○職員給与・賞与の見直しはされているか?(特別職含む) ○職員手当・職員厚生費等の削減・見直しは行われているか? ※今回、津島町について問題視されている部分(●印)が多く含まれていますが、 それぞれが、改革に取り組んでいる言い分をまとめるべき時かと思います。 戻る |
2004/ 4/11 市町村合併どうあるべき |
本日の愛媛新聞に津島町の曽根町長の会見記事が載っていました。 また、同日開催されたという合併協正副会長会でも合併の枠組み維持については結論が出ぬまま終りました。 次回期日15日までに、 吉田・三間は各議会で検討するとするなど、 結論を出すまでにしばしの猶予期間を設けられたようです。 私の合併の枠組みについての意見をまたここで披露してみたいと思います。 さて、皆さんは如何お考えですか? 「地域づくりは最小単位で、事務管理は出来る限り大きな単位で!」が持論の私としては、 今回のリストラ合併(勝手にそう名付けております)は1市3町の枠組みでも規模が小さいと思っています。 1市5町1村 (日吉は、東宇和郡が便利でしょうか? 松野町は、県境を越えた合併が良いですか? とか言う価値判断もあるでしょうが・・) での合併を指向したいところです。 ただし、現在の直接の住民サービス形態は極力残し、 1市7制度で市町村の特徴を残してはどうかと思います。 総務・人事・対外(外交)交渉等の管理は一元化し、組織のリストラを進めます。 その分リストラの効果は出にくいのですが、 現状の1市5町1村の事務・事業の多くを現在の枠組みのまま残すとすると、 行政経費を賄えなくなるのだという現実をしっかりと見据え、 官と民の役割分担や、 一元化して管理をする部門と各旧行政地域別に管理が残される部分との峻別を冷静に (差し迫る前に)進めていくことが、逆にその中でこそ可能かと思うのです。 実は差し迫っているにもかかわらず、 既存の自治体のなわばり意識でそれをうち消すような感覚になってしまう現状では、 合併協議の多くは違和感を残したままになるのではないかと思ったりするのです。 その中のいくつかが、不調に終わり、決裂・仲違いをしてしまう事になるのではないでしょうか。 企業もそうですが、大きな組織は、その構成員が危機感を感じにくいものです。 この組織が市民も含んだものと考えると、もう手に負えません。 市民が他人事と思っていたらもう物事は動いていきません。 もっともっと、自分事として、 行政の在り方や地域の在り方へ意思表示をして行かなければならないと思っています。 今回のリストラ合併では、サービスの低下は必ず起こります。 特に、自主財源の多い町が、 自主財源が乏しくて国からの仕送りでなんとか食いつないでいる町と合併すれば、 その分一人当たりの自主財源額は下落します。 そして、合併に伴う特例措置後の仕送りは減しますと宣言されているわけですから、 とても今までどうりの贅沢が出来ると思ったら困るわけです。 他人事ではありません、自分のこととして議論をしてみて下さい。 それでもって、意識を変えていきましょう。 石橋市長には、市民の声に耳を傾け、議会と供にこの難局を乗り越えていただくようエールを送りたいと思います。 戻る |
2004/ 4/ 5 市政への市民参加について(倫理法人会講演レジメ) |
2004/4/7 市政への市民参加について 1.私の行政への関わり ゴミ袋有料化への取り組み(JC理事長時代) 市特別職報酬等審議会委員(酒井会頭・古谷組合長と供に/当時の役職) えひめ観光推進プラザ委員(観光立県反対の立場で出席して) えひめ丸事故対応(市長選公開討論会直後) 補助金等検討委員会委員長をやって まちづくり委員会のファシリテーター(促進者)として (まちづくりプロジェクト委員会と比較して) 女性問題研究委員会副委員長として 2.私達に出来ること 3.では実際に 4.「市民の声」というまやかし |
2004/ 2/22 ジェンダー・フリーに潜む危険 |
本年度、宇和島市女性問題研究委員会の委員として 「 (男女が共に歩んでゆくためのコミュニティー誌)」の編集作業を中心として、 意識啓発活動?のボランティアをして参りました。 時間不足で、十分な議論が出来ず残念ながらフローラに掲載するまで煮詰められませんでしたが、 下記は、武田個人の主張です。 // 私は、この日本の社会を崩している思想の一つに、 「ジェンダー・フリー」があると思っています。 今回、女性問題研究委員会の一員に加えていただき、以前からもっていた、 「一部のフェミニスト達による行き過ぎた 『男女共同参画社会づくり運動推進』についての違和感」が、 どうも私だけが持っているものでないことが判りほっとして居ます。 一部の過激なフェミニストたち(過激故に声が大きくそして強く聞こえる)は、 ジェンダーとセクシャリティーという言葉を、自明であるかのごとく説明して見せます。 すなわち、生物学的な性いわゆる先天的に与えられている性を「セックス」と説明し、 制度的・文化的に形成され、後天的に社会がその性に負わせるものを「ジェンダー」と操るのです。 昨今の日本、大人達の多くがまことにもって無責任になり、 「自分だけが良ければ」という極めて刹那的な価値観で生きるようになってしまいました。 (まるで、ウーマンリブ運動が起こった時代のヒッピーの世界のように) 例えば、人間性よりもお金を大切にする価値観、 “経済第一とする社会”のつけによると言われる犯罪や風紀の乱れが各所で発生しています。 そういう時代にあって、 男性・女性というその「性」なるがゆえに負うべき役割や責任を放棄できる価値観である (極めて破壊的なイデオロギーに傾倒する者たちが扇動する) 「ジェンダー・フリー(日本にしかない言葉)」という価値観は、 抵抗力や免疫力を失った社会に蔓延して行ったのであります。 男と女という二つの性の分化は、後天的に社会が作ったものであるから、 この社会を変えて「ジェンダー」を無くしていかなければならないと言うのです。 多くの男の子は、思春期を迎えると女性を異性として意識します。 それは、社会がそう教育したから意識されるのでしょうか? 個人差はあってしかるべきですが、男は女性を守ろうとし、それを女性は頼もしく思う。 果たしてこれは不自然なことなのでしょうか? 男児の健やかさを願い、女児の幸せを願う、 節句のお祝い(鯉のぼりやひな祭り)を否定することを愚かと言わずして、なんと申せましょう。 女の子に可愛らしい名前を付けては成らないと言うのです。 桃太郎はだめ、桃は女性の性器をイメージするから問題があるなどと、 これを愚かと評さずになんと評しましょう。 あるいは、専業主婦として立派に家計を預かり、 家政学と言う学問まである主婦業を社会に参加していないと評することをどう捉えるべきなのでしょう。 誤っては成らないこと、それは「男女共同参画」「ジェンダーフリー」という主張が、 19世紀的な男女同権(男女平等)の主張に留まらないということです。 危険な思想を隠し持っていると言うことです。 危険なジェンダー・フリーの特徴を挙げてみます。 ・「男らしさ」や「女らしさ」を否定する(両性具有のかたつむりを広報誌に使う自治体もでる始末) ・性別役割分担を否定する ・伝統文化・慣習を否定する ・「父性」や「母性」を否定する ・「専業主婦」を否定する ・子育てを家庭から奪い社会に担わせる ・育児を外部に委ねることをすすめる ・伝統的な家族の価値を認めない(家族解体運動・夫婦別姓・親子別姓) ・性の自由化(フリーセックス)を助長する ・性の自己決定権を強調する(事実婚・中絶の蔓延) ・「結果の平等」を求める ※男女差別を無くす、男女が人として同じ権利を持つ、男女がともに社会参加する。 当たり前であります。 その当たり前のことを叫ぶ声の中に狂論が潜んでいることに気づかなければ成りません。 // 狂信的なジェンダーフリー論者に対抗する論であり、 世間一般の良識ある通常人に、 「みなさんの価値観は、誤っていません、多くの人が違和感を持っているのですよ」 と伝えたいが為、 極めて攻撃的な文調で述べましたが、 日本の社会を破壊しようとする偏ったイデオロギーを持つ者の扇動に対し抗するために胸を張って、 伝えるべき事と思っています。 男らしいことが暴力性とのたまう輩が居ます。 男らしい男は女性に暴力を振るったり致しません。 家族や恋人、あるいは正義を守るために、体を張るのが男であります。 それをジェンダーなどと蔑む輩には、堂々と異を唱えなければ成りません。 戻る |
2004/ 1/13 成人式に思う |
正直心の一部に興味本位の部分があったりして恐縮してしまうのですが、 昨日は、馬鹿どもが各地の成人式を如何にぶちこわすのか、 わくわくしてニュースを見てしまいました。 しかし、暴れ回る馬鹿どもを写す各地の映像を見て、 本当に吐き気がするほど腹立たしく思えてしょうがありません。 不愉快この上ない。 式典会場周辺やまちなかで暴れる輩にどう接すればよいのでしょう。 まず私達は、ああいう輩を雇い入れ対象から外しましょう。 学校に通う者が有れば、退学にしてやればよい。 勤めている者が有れば、即解雇すればよい。 警察は、刑事犯として即逮捕すればよい。 テレビは、顔をモザイクで隠すなどせず、全国に知らしめるべきである。 やつらは公然と犯罪を犯しているのである。 被害者の顔はモザイクで隠さず、傍若無人の輩の顔を隠す、 マスコミの報道姿勢もまったくおかしい。 サヨク人権主義者が、社会に罪があるなどと奴らを弁護するのも腹立たしい。 全国の大学の武道系サークル・援団・ラグビー・アメフト部員諸君、今こそ君らが立ち上がるべきである。 奴らの前に立ちはだかれ、そして市民を一般学生を守りなさい。 警察よ自信を持って奴らを連行しなさい。 このままでは、日本という国が崩れてしまう。 堂々と、「日本人である」と誇れる国に致しましょう。 戻る |
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