2005年の講釈
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目次

2005/12/29 旅立つ君たちへ
2005/12/25
 高校スポーツへの外国人の・・
2005/10/30
 「教員の免許更新制」検討に見る教育現場の問題
2005/ 9/13
 都市対地方の戦いが始まる?
2005/ 9/12 
マニフェストは読まれたか?・・衆議院選挙自民党圧勝を受けて(笑)
2005/ 8/28
 確固たる歴史観を持つ
2005/ 8/25
 近藤先生の合併特例債は毒饅頭説に寄せて
2005/ 8/23
 下水道事業による借金
2005/ 8/22
 政治家ならぬ政治屋に引導を
2005/ 8/21
 公務員をリストラしよう2
2005/ 8/19
 公務員をリストラしよう
2005/ 8/18
 今度の選挙は、マニフェスト型公開討論会で
2005/ 8/ 7
 あんたら報酬は受け取りなさんな!
2005/ 6/30 情報の使われ方・生活保護の不正受給を題材にして
2005/ 6/ 8 教科書採択に市民の力を
2005/ 6/ 5
 日本共産党南予地区委員会の質問に答えて
2005/ 4/24
 施設整備の在り方・サッカー専用競技場完成報道を目にして2
2005/ 4/10
 情報開示の必要性・サッカー専用競技場完成報道を目にして
2005/ 3/25
 市立病院建て替えについての疑義・頑張れ宇和島の建築士さん
2005/ 3/ 7
 市立病院建て替えについて 2報
2005/ 3/ 6
 市立病院建て替えについて
2005/ 3/ 5
 下灘漁協の損失補償とはいったい?
2005/ 2/ 6 次の選挙は、マニフェスト型公開討論会
2005/ 2/ 2 A級戦犯合祀について/後藤田正晴氏「現論/愛媛新聞」への反論
2005/ 1/13 市長選公開討論会を聞いて1



2005/12/29 旅立つ君たちへ
トレーニング仲間のご子息の話です。
N氏のご子息は、トレーニング日記でも触れた、全国高校サッカー選手権大会の県予選の決勝戦で、
夏のインターハイでベスト8の松山 工業と互角の戦いをして、
延長で惜しくも負けてしまった「宇和島東高サッカー部」の 中心選手でありました。

大会を特集する雑誌に、全国高校サッカーに出られないチームから注目の選手の一人と 
して紹介されたという。
実際に記事を拝見したのですが、
他に取り上げられた選手はJリーグ入りが決まっているような選手が多いようであります。
そういう選手と比べて体格に若干劣る彼でありますが、
その素質は全国で注目されるレベルであるということみたいです。
サッカーについて詳しくない私ですが、こうして知人のご子息の、
そして宇和島に生まれ育った少年のすがすがしい活躍を耳にすると、
まさに自らの身が引き締まる思いが致します。
そして、なにより、
ご父兄(トレーニング仲間のN氏)のご苦労をねぎらいたいと思いました。
また、指導されたスタッフ・先生方の今日までの努力に謝意を述べたい気持ちが致します。
卒業後は、偶然にも私の大学時代の恩師であり、
地域づくり系のフォーラムのコーディネーターとして来宇したこともあるM氏が学長を勤める大学へ進学するそうです。
将来の夢についてもお聞きしましたが、彼の意を十分に理解をして、誤解無くお伝えする自信がありませんので、ここでは触れないことに致します。

残すところ学校生活も三学期のみ、三年生にとっては卒業は目前です。

それぞれの未来に向かって進む皆さんを心から祝福したいと思います。
宇和島へ残ってくれる皆さんは、宇和島を離れる仲間を私達と一緒に待っていて欲しいと思う。
だから、進学や就職で宇和島を出て行ってしまう皆さんは、いつの日か帰ってきて欲しいと思っている。
いや、そう信じている。
皆さんは、宇和島という(そこが、居心地が良かったかどうかは別にして)まちに育った。
宇和島の風土の中で、親や家族、あるいは親戚や近所の人々、学校の先生や塾の先生、
友人や先輩・後輩、多くの人々に囲まれ、いわば地域の宝として育てられたということを忘れないで欲しい。

快適な地域であったか、この町が良いか悪いかをここで議論するつもりはないが、 
とにかく、君たちを育んだこの宇和島のことを忘れないで居て欲しい。
仕事や新しく出会う人等の関係で、なかなか宇和島へ帰れなくなる諸君も出てくるかもしれない、
それが現実なのかも知れない。
しかし、たまには宇和島を思い出して、何かを私達に伝えて欲しい。

君たちのふるさとを、どう残していくか、どう伝えていくか、それは私達の大きな課題である。
もっと大きく言えば、子どもたちにどのような未来を残すか、そんな役割を私達は担っているつもりでいる。
当然、今を生きることの大切さは分かる。
しかし、宇和島再生のために、様々な問題に対して、長期的な展望をもって、
「今」我慢できることは我慢することも必要であろう。
環境問題も財政問題も、「今を快適にと」生きてきた付けがここへ来て噴出しているとしか思えない。
今からは、君たちのことを考え、未来のために精一杯頑張っていきたい思う。 
今までも及ばずながら頑張ってきたつもりだが、
諸君らは、我々宇和島の大人をどうか試してみて欲しい。
ふるさとと呼ぶにふさわしい地域であり続けられるか。
しかし、同時に、諸君らと共にこの地域をつくるにふさわしい大人かどうかという視点でも、
見ていてくれるだろうか。
そして、君たちが宇和島のために何が出来るかも常に考えていて欲しい。

21世紀の主役は、僕らと諸君の世代である。
君たちの、心のこもった答辞を待つ。来春、宇和島を旅立つ君たちへ。
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2005/12/25 高校スポーツへの外国人の・・
仕事とその後の移動のため、テレビでは見られなかったのですが、
高校駅伝で、仙台育英が三連覇しました。
ラジオで3区の終盤から聞きまして、体型も顔かたちも純日本風の私としては、
「判官贔屓」よろしく、
来年学校創立1**年を迎えるという世羅高校がトップに立っていることを嬉しく思いました。
ところが、次にラジオを聞いた4区終盤で、仙台育英が世羅高校に追いついてしまいました。
結局、仙台育英の連覇。がっくりであります。
しかし、しかし、世羅を応援した私でしたが、ラジオを聞いていて、
世羅高校の一区も留学生であることを知り、「あらら」のあきれ顔でありました(笑)。<br>
高校野球で、国内での野球留学と称される「選手集め」について否定的な感覚を持っているのですが、
アフリカからの留学生が、高校駅伝を走ること、いかが思われますか?
金に物を言わせて選手を集め、勝てばよいのか?
注目を浴びれば、「宣伝広告費としての投資効果があった」と、
投資を続ける動機になろうことは止めようは無いでしょう。<br>
狭義に学校の経営を考えると、如何に生徒を集めるかと言うことにつきるわけです。
そんな中で高校スポーツが、如何にあるべきかと考えると、どうなんでしょう。
疑問を持たずには居られません。
一方、教育のあり方論から学校の経営を考えれば、集まった生徒にいかなる教育がなされ、
その教育の結果として如何に生徒が成長していくか?
そう言った校風とでも言えそうな、
「学校環境づくり」そのものが、生徒が集まる情報として発信されるべきと思うのです。
甲子園や都大路などといった、高校スポーツ競技会で、お金で集められた選手が活躍し、
それが生徒集めの手段とされているように感じてしまうのは私だけでしょうか? 戻る

2005/10/30 「教員の免許更新制」検討に見る教育現場の問題
「教員免許の10年ごとの更新制」が中教審のワーキンググループによって検討されています。
報道でご存じの方も多いと思いますが、
ここでも見え隠れする問題点について指摘してみたいと思います。

教員としての適格性や専門性を維持し、
 そしてそれらを高めていくための講習を受けることを更新の要件とする

新しい免許制度を導入しようということなのです。
この制度では、まず免許取得の段階で、
教職課程の単位を取った上
(現在は所定の単位を取得すれば、自動的に教職免許は取得できる)に、
各大学の教職課程委員会(仮称)が教員としての最低限必要な資質や能力が身に付いているか判定して
免許を与える(入り口での絞り)こととし、
そして、10年ごとに、
教職課程のある大学や都道府県教育委員会が開く講習を受講
して、
使命感や責任感、教科指導力などが身に付いていると判断された場合でないと、
教育委員会は免許の更新を認めない
(教員を続けられない)ことになるといいます。
(赤字部分、産経新聞より引用)。
こうした新しい免許制度が検討される背景には、指導力不足の教員の増加など、
学校の教育力の低下、それによる学校の荒廃があるのはもちろんであります。
そういうわけですから、
当然に現職の先生方にも免許の更新制が適用されてしかるべきと考えるのが自然と思うのですが、
ところがどっこい、現職は適用対象外であるというのには驚いてしまいます。

「おいおい、教育現場の荒廃、その現場にいるのはあなた方なのですよ。」

もちろん、その荒廃の原因が学校にだけあるなどとは言うつもりはありませんが、
どうしてあなた方(教員免許更新制度導入までに教職に就いた人)は、
教育改革のための答申「免許の更新制」の対象外となるというのでしょう。
大笑いです。
この答申をなさった中教審のワーキンググループがどういうメンバーで構成されているか知りませんが、
「現職は適用対象外」という意見は、どなたの意見であったのでしょう?
特別な力関係の下になく、自由な議論の結果というのでしょうか?そうだとしても、
どなたが強く主張され、そして他のメンバーが納得するまでの経緯はどういうものだったのでしょう?
いったい、どういう理屈で、
「現職の持つ免許は更新の必要がない」と現職を特別扱いするというのでしょう?
全く疑問です。
現場の教師の一部にでも、現在の教育現場荒廃の責任があると考える謙虚な気持ちが有れば、
現職は、免許の更新制を受け入れることが子供たちの教育向上に資すると考えることは出来ないのでしょうか?
更新制の導入時期や講習の具体的な内容については引き続き検討されているのですから、
現時点で、ワーキンググループが現職を適用外とすることは、まったくもって、疑問であります。

ここまで述べて参りまして、私が常々持つ、現在の教育現場の荒廃の基に、
一部の教員に蔓延する極左のイデオロギーがあるという意識が頭を擡げて参ります。
「やっぱり、ね!」だったりいたします。
教員組合は、子供の為と称して、自分たちの身分を守ることを主眼に戦っています。
その戦いの中で、彼らは、「教育者あるいは教師」としてではなく、教員という労働者として、
日本の子供たちの能力を恐ろしいほどに低下させていると思っているのです。
「ゆとり教育」と称して学習時間はどんどん削られて来ました。
毎週土日はお休みです。教員、自からが休みたいだけではないのかと思ってしまいます。
現代にあって、子供たちをとりまく大人たちの労働形態は多様化しており、
土日を休日として家族と過ごす時間と短絡することはまったくナンセンスです。
そして、そのゆとりの時間で、
受験塾へ通う受験エリートとまちに出てふらふらと時間をつぶす子供たちとの間には、
ますます大きな格差が生まれることでしょう。
「個性教育」と称して、
自由をのふぞうに(=「いいかげんに」伊予弁ですかね(笑))認めてしまった結果、
授業中に教室内を徘徊する子供たちにさえ、注意を与えない教員が出る始末です。
大学で行われる高等教育ではないのです、自由と規律のバランス、おかしくなっていませんか? 
先稿でも述べましたが、
「義務教育は、税金をもってなされる国民として身につけておいて欲しい最低限の教育」なのであります。
子供が自由に何かを選択していく、
そういう「子供の自己決定」を認めるとして、
子供を放任し、まるで一人の(権利と義務を併せ持つ)大人として扱っています。
その結果、いつまでも自分では大人になれず、歳だけとった、
いつまでも子供子供した国民をたくさん生んでいます。

義務教育は、大人になる前に施す最低限の教育で有るはずです。
それなのに、その教育を放棄し、逆に大人になれない教育をしているとさえ思ってしまいます。

話を教育免許の更新制度に戻しますが、
更新に際して判定される基準は、
@使命感や責任感
A対人関係能力
B子供への理解
C教科の専門知識と技能
D教科の指導力
だといいます。
しかしながら、
偏狭な左翼的イデオロギーを持つ教員がそのイデオロギーに基づいた偏向した教育を子供達に与え、
あるいは教科書
(教え方や教える範囲・難易度についてではなく、自虐史観にもとづく、国民の誇りを失わせるように)
にまで支配を及ぼしている現実を見ますと、
これらの基準以前に、
国家の意志あるいは国民としてのあるべき姿から離れた教育を行う偏向教員は公務員としての
教員免許は更新されるべきでないと考えます。
すなわち、免許更新の対象になる教員が現在の日本の目指す国家像と全く逆の左翼イデオロギーを
義務教育に持ち込もうとしたりしている場合は、
私立の税金を使わない学校(現実には「私塾で」)どうぞということになります。
教員は自らの偏狭なる思想と離れて子供達と接するべきであります。
思想・良心の自由は認められます。
しかし、子供達に対し、破壊的な左翼思想でもって教育を行う自由は一切与えられてはいないのです。
今回の新しい免許制度導入についての討論の中で、
左翼教員達の代表がどのような主張をしているか聞いてみたいものです。
教育改革が、左翼教員達のごり押しで、有形無実なものに形が変わりませぬように、
心より願っております。

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2005/ 9/13 都市対地方の戦いが始まる?
郵政民営化以外の争点で勝負できなければ、民主党は、絶対に負ける。
こんなこと簡単なことです。
今まで都市型の政党として都市部で議席を獲得してきた民主党、
一方、地方での得票で議席を確保する自民党。
今までの選挙では、
得票数は民主党の方が多いのに議席数は自民党が多いという現象が現れていました。


今回はどうでしょう。
三位一体改革というキャッチフレーズで切り捨てられかけている地方は、
未だにお上=自民党頼みを脱皮できずにいるようです。
相変わらず自民党の先生に投票する皆さんがあふれる田舎では、
今まで通り、自民党が勝つことになります。
一方、都市部はどうでしょう。
郵便局なんてあってもなくても、
クロネコヤマトのメール便で、いくらでも代替えが出来て、
都市銀行でいくらでもお金が扱える。
保険会社もうるさいほどセールスに訪れる
(テレビなどの媒体を通してや、カード会社などの個人情報を利用した
 ダイレクトメールがどんどん届くなどという意味も含んで)。
現在は税金を投入していない(黒字の)郵政事業も数年後には税金を投入しなければ赤字になる。
民営化すれば税金を取れるではないか?そして、その本社は当然都市部に置かれる。
地方なんて関係ない、自分たちの地方(都市部)には、関係ないこと。
何て思えるノー天気なみなさんが、マニフェストなど読まないで、
劇場型に乗せられて、“郵政民営化選挙”で自民党への投票を行った。
都市部で雪崩的に自民党へ議席が流れたのは、そういう至極当然の結果だと思うのです。
根幹には、大きい政府か小さい政府かという問題が有るわけでして、
郵便事業のユニバーサルサービスは当然として、
金融・保険、すなわち郵貯・簡保の窓口としての郵便局は不採算の田舎では税金を投入してでも
サービスを維持しなければならないという福祉予算的な部分もあると思うのです。
最低限のサービスを受ける権利、それは守ってあげなければならないのですが、
郵政三事業と言われるサービスはどうなんでしょう。
また、メガバンク3行を合算するほどの預金量を持つ郵便局の解体は、
すなわち外資の草刈り場になる危険があります。
実際の所、アメリカの意向で(外圧によって)郵政民営化を進めるという一面もあったりするのです。
「官から民へ」「民で出来ることは民で」この至極当然の原理原則は、
多くの国民が納得することであります。
肥大化した、護送船団方式などと揶揄された、
官僚主導の国作りが良いと思う人は一部の化石化した人を除けば、居ないでしょう。
そういう当然の感覚にのって、
今回、旧来の自民党が、
都市部向けに「わかりやすい」郵政民営化を示すことで都市型の政党に変わって見えたわけです
(事実、今の自民党は都市を向いているように思えます)。
その為に雪崩(表層雪崩ですが(笑)シャレじゃないですよ(爆笑))のように票が流れたのでしょう。

地方が切り捨てられていると言うことに気づかない、
いえ、気づいていても抵抗勢力・造反組と見られることが怖くて、
自分の考えの言えない情けない自民党の田舎の地方区選出議員は、
(都市部中心の政策の中、自立できない地方に不安を持ちながら)
ミニ小泉的にバラ色に日本の未来を描いてみせるのです。

そもそも二大政党制に反対の私ですが、
今の日本では、都市型の政党と社会資本整備など遅れた地方を重視する政党と、
そういう流れが出来なければならないと思っています。
ヨーロッパの多くの国の政府は、福祉の面では大きな政府を維持しています。
アメリカ型を目指すか、ヨーロッパ型を目指すか、
自民党も民主党もヨーロッパ型を目指そうとはしていないようです。
そこに民主党の敗因があると考えます。
さぁ、都市と地方が政策を論じましょう。
消費地でしかない地方には、税金を取る先が見あたりません。
新規に税目を増やすとしたら、それは地域民・地域企業にとってマイナスに働きます。
森林の維持や水源の涵養という役割を評価して、
都市部との所得再分配のシステム作りの議論を始めなければなりません。
例えば、大手飲料メーカーの無い地域は、飲料容器の処理料を飲料メーカーに求めましょう。
自動車メーカーや電気機器メーカーのない地域は、不法投棄されたそれらを集めて、
処理料をメーカーに請求しましょう。
全国の地方が、生産地(税収を得ている)へ向けて、税の再配分を求めましょう。
そうしなければ、この狭い日本で、アメリカのルイジアナ州のような地域が出来て、
ニューオリンズのような町が出来ます。
国土の均衡ある発展という言葉を、再び提起したいと思います。
他の地方と競争が出来るだけの、最低限必要な社会資本の整備は必要なのです。
地域民の福祉を維持するために、最低限必要なお金が必要だと思うのです。
(当然、構造改革や財政改革は必要です。
 公共工事や公団等の発注に存在する談合などもってのほかです。)
地方の税収だけでは不可能な社会資本の整備費用は、どうして捻出しろと言うのでしょう?
義務教育の教育費を削れとでも言うのでしょうか?
このような発言をすると守旧的と批判されるかも知れませんが、
地方同士が引っ張り合いをして、力のある政治家が、
予算をぶんどってくるという公共事業は非難すべきでありましょう。
しかし、このままでは、生活環境(人にとっても企業にとっても)が、
日本という同じ国内にあるにもかかわらず、
著しく劣悪な地域が出来てしまうということになるのではないかという警告を発していると
ご理解いただければと思います。
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2005/ 9/12 マニフェストは読まれたか?・・衆議院選挙自民党圧勝を受けて(笑)
眠いですね。
我が宇和島では、合併後初となる市長選挙・市議会議員選挙が同日に行われた関係で、
新市長の決定が2時ごろ、市議会議員全席の決定は、朝方になったそうです。
各局の衆議院選開票特番のチャンネルを変えながら、
市長選の結果だけでも見たいと思っておりましたが、2時過ぎに寝てしまって、
結果は朝になって知りました(笑)。
宇和島市長選挙の結果は、どちらかという改革派(財政再建などに取り組む)と評価する
(生意気にも私が評価しています(笑))石橋氏が当選され、胸をなで下ろす気分もあるのですが、
この状態で4年間が過ぎてしまうと、大変なことになると心底思うのも事実です。
選挙結果を受けて、4年後の市長選挙には違う立場での参加を考えております。
皆様にはよろしくご指導をお願いしたいと思います。

さてさて、今回初っ端に感じたのは眠さでなくて、開票作業の大変さです。
僕の友人も開票作業に携わっていたのですが、今日は、きっと爆睡したのではないかと思います。
アイアンマンレース(10時間くらいかかる)のフイニッシャーですから、
体力的には大丈夫だとは思いますが、お疲れさまです。
って、電子投票システムの確立が待たれるところです。
同時に、国民投票に関する法整備を進め、代議員制に代わる民主主義の実現を計っていただきたいと思います。
これは、今までも触れたことがありますので、今回は別件です(笑)。

本題です。2005年衆議院選挙は政権与党の圧勝で終わりました。
なによりも嬉しいのが、投票率のアップです。
長野の田中知事が、「日本も捨てたものでない」とか言っていたのが具体的に見えてきました(笑)。
10%以上も前回に比べて高く、メディアが「劇場的に」「ワイドショー的に」取り上げたことの、
効果?を思い知ってしまいました。
メディアは、各党のマニフェストを、各社が独自に、対比表にしていましたので、
それを目にした方も多いと思います。
では、それがどれだけ投票行動に影響したでしょう。
マニフェストとしては、自民党のものより、民主党のものの方がみかけの完成度は高かったと思います。
様々な政策課題について、比較的具体的に、時期や財源も示され、
マニフエスト選挙が定着すればよいと考えている私にとっては、歓迎すべきものでありました。
しかし、今回議席を伸ばしたのは、マニフェストが充実していた政党ではありません。
訴える政策が、わかりやすく(もっと端的に申せば、一つだけ強く)示された、
「郵政民営化 是か非か」とか「護憲」と言う主張をした政党です。
つまり、マニフェストの完成度、ひょっとすると「政策の善し悪し」よりも、
その「わかりやすさ」、単純明瞭な政策を打ち出せた政党が議席を得たように思います。
ちょっとばかし考える気持ちが有れば、国政が「郵政民営化」だけで良いはずはなく、
自民党がその他を白紙委任できるほどに信頼出来る政党であると確信を持って投票した人なぞ
わずかでありましょう。
私などは、二大政党制の危機(あえて、そう呼びます)の中で、
靖国参拝を批判し国の魂を売るような民主党(党内にはいろいろな意見が存在するようですが)に
政権を取って欲しくなどないのでありまして、
政権交代などしたら大変という思いが強くありますので、
政権を取らせたい政党は自民党以外にないのですが・・・。
一方、様々な政策がバランス良く実現されるために、今回のような「一党が圧勝という結果」には、
これまた大変な危機感を持ってしまいます。
まあ、国民の支持を得た、小泉自民党政権の今後を見守るほかないのですが・・・。
だいぶ話がそれてきました。話を元に戻さなければ・・。

今回の選挙で本当に再認識したのは、「政策の訴え方」の問題です。
マスコミに取り上げられるには演出も必要でしょうが、
新党日本や国民新党の主張などは、存在自体にも話題性があり、
それをマスコミが取り上げることでその主張は広く報され、
国民はそれなりに政策(考え方)を耳にしたものと思われます。
また、刺客とか称された候補もまた、露出度が高く、
そのたびに小泉自民党の主張が繰り返されるわけですから、
国民がまさしく催眠術にかかったが如く(広島 亀井候補説(笑))
投票先を変えていったのでは無いかと思ったりします。
つまり、(演出や頻度など含めて)如何に国民に訴えられるか、
そしてその訴えの「わかりやすさ」が影響した選挙結果なのでしょう。
今回議席を維持したり伸ばした政党は、いくつかの主張を、
単純化して伝える作戦に成功した政党だと感じます。
しかも、唯一大量に議席を減らした民主党の場合、
訴える内容が「わかりにくい」と感じた人が多かったのではないでしょうか。
どうしても、たくさんのことを同時に伝えられると、理解度は、下がります。
同じことを手を変え品を変え(笑)、いろんな声で、そしていろんな事例を紹介して聞かされると、
それは刷り込まれてしまって、その事は忘れにくくなるのが人間です。
つまり、その点に失敗したのが民主党ではないかと思うのです。
説明を受けた際には、ふむふむと頷いていたとしても、
しばらくして、えらく単純に同じ事を繰り返すアジリティーを耳にしてしまうと、
ついつい「そちらが良いのか」と、投票当日までに心変わりしてしまうのではないかと思ったのです。
選挙戦というものがこれだけ短期に行われる(落下傘候補などその際たるもの)場合には、
まさに、政策の「わかりやすさ」が一番大切だと思いました。
私のしがない経験の上でも、同じ事をお伝えしても、人はそれぞれ受け止め方が違い、
お話しした皆に理解して頂くのは本当に難しいものと感じています。
同じ思いを持つ組織にあってさえそう感じるのですから、
中には反対派や他の候補・党を支援する方もいらっしゃる有権者相手にお話しして理解されるのは本当に難しいことでしょう。
ましてや、様々な政策を(メリハリは付けたとしても)あれもこれもと訴えたとすると
焦点がぼやけてしまったりすることは容易く想像できます。
ですから、今回は、「郵政民営化」や「護憲」などといった
(どこの政党か丸わかりですね(笑))
争点を強調した政党が票を得やすかったのではないでしょうか。

ただ、政策というのは互いに絡み合い、たくさんの争点を持つものであります。
ですから、何かを強調したとしても、それ以外を無視して良いという事にはなりません。
その政策課題について興味のない人にとっては、「なーんだ」ということにもなります。
たくさんの政策課題についての考え方を示して、それぞれに市民と供に解決策を模索していくべき、
地方政治にあっては、十分に時間を取って、選挙期間の数週間に限らず、
政策面の相談をしていかなければならないのだろうと思います。
地域の抱える課題について、一人でもたくさんの市民の皆さんとお話をする機会を持ち、
その中で重点的に捉えたい課題について、選挙戦で訴える。
そういう地道な(顔や名前ではない)強固な地盤に立つ看板が必要なのかと思った選挙結果でした。
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2005/ 8/28 確固たる歴史観を持つ

扶桑社の中学校歴史の教科書が各地の教科書選定の場で選考対象として検討され
(国の行う検定にとおった教科書なのですから、当然のことなのですが)
少しづつですが、確実に国民の歴史観が正常化する兆しが見て取れます。
一方、一部の運動家は、恥も外聞もない、不採択運動を続けています。
本当に見苦しい限りであります。

歴史というものは、相対的なものであるということがわからないのでしょうか?
ある国の歴史書と別のある国の歴史書を比べてみます。
同じ時代・同じ国の記述であってもそれぞれに異なって当たり前です。
どちらかが正しいと言うものではないのです。

古くは、元寇・秀吉の朝鮮出兵、
戦争で相手の兵をたくさん殺したら英雄、
しかし殺された国の国民にとって、その英雄は単なる殺人者です。
どちらかが正しいのではなく、視点が違うということなのではないでしょうか。
また、歴史は時の為政者が自己を正当化するために作ると言います。
そういう意味で、現在の日本史は、先の大戦の戦勝国が作ったと言えます。
特に米国の占領政策がたいへんな成功(現在のイラクの状態を見ると(笑))
を収めてしまったのでありまして、
「日本人の魂を骨抜きにし」、
「二度とアメリカに対して、「NO!」と言えない国にしてしまおう」
という施術に填ってしまった結果の自虐史観に充ち満ちています。

占領軍は途中で方針を変えた(反共戦略により)のですが、
国を破壊し共産主義国家を目指そうとする売国一派は、教職員組合に巣くい、
日本という国に誇りを持てない歴史教育を確立していったのです。

一方、中華人民共和国という国は、歴史上多くの国が興りそして滅びました。
秦・漢・隋・唐・明・清、中国は国ではなく、その地域を指すのです。
様々な国が興り消えていった地域なのです。
その勃興の中で、
前の王朝の歴史はそれを打倒した王朝が自分たちに都合がよいように描いて来ました。
それを経験している、そういう歴史を自国の歴史に持つ中国は、
歴史は自分たちの都合がよいように書き換えることに戦略的に長けているのです。
だから、ノー天気な日本人は、保守政党の中にまで、中国の歴史観を植え付けられ、
売国発言に終始する者がいるほどの術中にはまってしまうのです。

確かに、戦争はよいことではありません。
国際的な紛争の解決は、話し合いで解決されるに超したこと無いのです。
世界の国々といがみ合って生きていくことは得策ではありません。
そんなことは当然です。
しかしながら、現代の尺度で、大東亜戦争の戦争責任を問う輩が多いことは、
慚愧に堪えません。
その時々で精一杯の判断をした先人を、現代に生きる私達がどうして責められるというのでしょう。
外交の一手段としての武力行使という選択肢は自然にあったわけです。
戦争の責任は、その当事国一方にのみ負わせるべきものではないことは歴史が証明し、
あえてここで論じる必要はないでしょう。
その上、戦争に負けた国がその国の文化や伝統を捨てさせられ、
「魂まで抜き取られる」ということなどあってはならないことです。

 先の中国の例を取るまでもなく、勝てば官軍であります。
日本は第一次世界大戦の戦勝国になり、南太平洋の島々を委任統治する権限を得ました。
日清・日露の戦勝によっても、領土を(当時の国際秩序の中で)合法的に領有することになりました。
確かに、戦勝国ゆえに正当化された部分もあったことはここでも否定しません。
そして、大東亜戦争の敗戦により、それら全てを失いました。
日ソ不可侵条約を破って参戦したソ連に至っては、北方領土の領有などを認められる始末です。
第二次世界大戦(国際的な呼び名です)の頃でさえ、
戦勝国は、このような理不尽(現代の尺度では)をも非難されることはなかったのです。

 先の大戦で交わされた、
軍備の無条件放棄」という降伏条件は、
いつの間にやら、国が無条件降伏したと喧伝されました。
東京裁判もしかりであります、戦勝国の判事によってのみ裁かれました。
国際法も無視し、事後法(罪刑法定主義という、罰則法規の根本原理を無視してまで)で裁きました。
今の日本の歴史観が、こういう占領政策によって作られていることを気づいて欲しいと思います。

愛媛県の県立中学校の社会科教科書に扶桑社の教科書が採択されました。
我が宇和島では、別の教科書が採択されました。
リーダーのリーダーシップの違いであろうかとも思ったりしますが、
松山市の教科書選定に関わる、教育委員の自宅に脅迫電話がかかったということも聞きました。
まずは、教育委員にどこまでの責任を負わせるべきであろうかと思ってしまいます。
脅迫を受け、扶桑社の教科書を支持すると、一部の運動家が右翼・軍国主義者のレッテルを貼り、
糾弾します。
こんな状態で、公正な選定が行えると言うのでしょうか?
各地の教育委員のみなさんには、たいへんご苦労な作業を進めていただいていると、
頭が下がる思いであります。
また、もう一つに、この教科書採択について、
教員試験に一度通っただけの教員の意見がどこまで力を持つべきであろうかという点も
疑問であります。

民主主義の実現という観点からすれば、知事や首長・議会にこそ、
教科書(地域・国の子供達の教育はどうあるべきか)選定の権限はあると考えるべきではないでしょうか?
そして、議会の信任を受ける教育委員が教科書選定に関わること、
そして一部運動家の教員よりも委員の意見が重用されることが、
民主主義的手段と考えるのは私だけでしょうか?
少なくとも、知事が教科書採択について圧力をかけたなどと、
くだらぬ言いがかりは許してはいけないのです。
義務教育は、税金をもってなされる国民としての身につけておいて欲しい最低限の教育であります。
政治が、意見を述べていけないはずがないのです。
教科書採択についての手順手続き、決定権者、決定のシステムを正常に戻せる風が吹いて来たように思えます。
敗戦という呪縛を離れて・・。
 
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2005/ 8/25 近藤先生の合併特例債は毒饅頭説に寄せて
近藤先生(宇和島市立病院前院長)の

uwajima_dmlへご投稿いただいた合併債毒饅頭説の根拠は・・・
同調する若輩武田の意見です。


近藤先生>いつも、示唆に富んだお話しありがとうございます。

私も、今のままでは、合併債は毒饅頭になってしまうと考えております。
近藤先生の意見と全く同一であります。

人はついつい、お金があると使ってしまうもの、
「ご利用は計画的に」と言われながらも、財布にお金があるとそれが借金で得た金でも、
ついつい無駄遣いしてしまうものです。(笑)

一方、市役所で聞いた話ですが、合併特例債を使う為の事業項目は、
様々な事業に使えるよう(どんな事業でもこじつけで「事業名」に引っつけて)、
利用の範囲を広くとれるよう準備しているとのことです。

だからこそ、柔軟に、十分に練り上げて、お金の使い道を考えて欲しいと思います。
何てったって、債務返済の大方を国が背負ってくれるのですから、使わなきゃ損です。
ただし、今までのような、使ったは良いが、その施設の維持管理に莫大なお金がかかり、
利用料収入などの便益を積み上げてもコストがまかなえないで、
喜ぶのはその工事をした業者さんだけと言うようなことでは、
市の赤字はますます増えていきます。

私なら、産業振興の為の低利融資制度・利子補填制度、
信用保証事業などに使います。
それぞれの地域の産品を圏域内の技術や発想で結びつけ、
それこそ、伝統的なものから若い方の突飛な(と思えるようなものまで)発想までつなげて、
地域の経済が長期的に潤うための雇用創出・新規産業育成事業に使えば良いと思います。

名づけて、宇和島市ベンチャーキャピタル。

金融機関OBや、経済界OB(Uターン組・脱サラ組も含め)をスタッフとした、
起業家・ベンチャービジネス支援の為のサービスルームを設置(建てませんよ(笑))いたします。
1.5次産業の創生や、第1次産業と第三次産業の連結など、
地域の産品・人材・この立地ならではの新産業創出・育成に使います。

例えば、
地産地消によって、一時的にコスト高になる仕入れ価格の差額補填
(奨励金として)にも使ってはどうでしょう。

近藤先生が提案される、コミュニテイーバス・福祉バス・福祉ハイヤーの類へも使うと良いと思います。
手元の資料によると、町立吉田病院と津島町立病院の赤字(平成16年度)は、表に出ているだけで、
1億9千万と2億2千2百万です。
その額は、なんと、
外来(延べで=一回の通院を一人と計算して)患者一人当たりの赤字と計算すると、
それぞれ2588円と3291円です。
ひょっとすると、外来患者一人に一台タクシーをあてて、
宇和島まで送り迎えしても合うということになるかも知れません(笑)。

まっ、それは言い過ぎにしても、市立宇和島病院や社会保険病院・徳州会病院を初めとする病院群、
診療所へ通院する交通システムを構築しながら、
一方で吉田と津島の町立病院は、民間へ賃貸などしてはどうかと正直思います。
公設民営の病院としてしまってはどうでしょう。

問題は、看護婦さんを始めとする職員の方ですが、
国へ時限立法を求め転籍を可能としたり、
それが叶わない場合は、民間病院へ公務員の立場のまま勤めてもらい、
その民間施設の同等職員の給与との差額は税金で補填して支給して退職まで面倒を見ることと
してはどうかと思います。
市民にその額を示し、納得を得られればの話ですが・・・・。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
補足 まーきみさんから、この部分について
ご質問
がございましたので、補足させていただきます。
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まーきみさん>面白いですよね。

現在の公務員の方の身分の守られ方というと、こんなもんです」という私見を、
示してみました。

☆同じ仕事(こういう表現をすると、自分たちの仕事は、高い評価を得て当たり前と仰います。
なんと言っても公務員様ですから)をしても、自分たちは公務員だから、たくさんもらいます。

と言う現実。そして、

☆経営がどんなに思わしくなくても、給料は保証されている
 (保証と言うより、労使交渉が十分に成されていないので、
  おざなりになっていると言う方が正解?)のだから、
 病院が赤字だろうが、評判が悪かろうが、私ゃ知りませんって
 『意識』が有りはしないか?

と言う疑問(たぶん皆さんも同感だと・・)。

そんなもんを、先の一文から読み取っていただければ幸いです。

こういう事実を、市民に向けてきちんと示せば、
誰も(あっ、失礼。公務員様のご家族ご一統様は、ひよっとすると・・・)が、
私の意見の味方になってくれると思うのです。

現実を市民に知らしめ、市民の声と供に、公務員のリストラをしようと言う私の作戦です。

わかりきったことを、わざとのように書いてしまい、さぞ、「タケダらしくない?」
「武田らしい?」と思われたことでしょう。

文中の公務員様というのは、
一部の「その身分にあぐらを掻く、民間なら一番にリストラされるだろう方々のこと」で、
ほとんどの宇和島市の職員の方は当たらないと信じます(笑)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
なんと言っても、赤字がこれだけあるのです。
毎年これだけのお金が有れば、たいがいのことが出来ると思うのは私だけでしょうか?

両病院の抜本的な改革をせずして、病院経営の赤字額が劇的に黒字に変わることはありません。
診療報酬制度の行く先は、まったくの逆風です。ますます赤字は増えることでしょう。

どこからお金を持ってきて、この赤字をまかなうというのでしょう。
3候補のマニフェストを拝見したいと思います。

まさか、病院経営の赤字を補填するために、合併特例で出来る借金を廻すつもりではないでしょうな?

もっとも、シーリング方式の現状の予算のうち、
合併特例債を使っても総務省に叱られそうにない事業は、基本的にすべて合併特例債で行い、
それらに使っていた予算を新規事業に廻すことにすれば、
ほとんどのサービスが合併特例債を使って出来ると思ってはいますが・・・。
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2005/ 8/23 下水道事業による借金
近藤先生からご提示いただきました、
下水道事業による雪だるま式の借金について愚説をば。

そもそも、私は、漁場としての海の環境再生の効果をいかに評価したとしても、
大規模な終末処理場方式の下水道には、反対の立場を取っています。
有機物は、循環させるべきで、流して良い物と流してはならない物は峻別して、
流してはならない物の使用については行政ではなく個人が責を負うべきと考えているからです。

環境のことを考え石けんを使う家庭と
おかまいなしに合成洗剤を使う家庭を比べてみましょう。
下水道処理料は、上水道の使用水量を計量することで推られ、それに応じた料金が取られますから、
両者で差はほとんど(笑)付きません。
また、環境に対する危険な物質を排出することは禁止されるべきで、
各家庭で使用できたり、個人が使用できたりする状態に置くことは、立法の不作為です。
長期的に、行政がそのコストを税金でもって負担し続けることは、
税金でもって合成洗剤のメーカー(たとえばの話です)を助けていることと同じと考えているからです。
また、生活排水の適正な処理を税金でまかなうとしても、
宇和島市のように周辺部の人口密度が低く、地形的にも複雑である地域は、
合併処理浄化槽設置(合併処理浄化槽普及促進市町村協議会のページをご参考までに)や、
最悪でも集落排水処理施設レベルの施設規模に留めて、
下水処理に取り組むべきと思っています。

つまり、環境保護がどうあるべきかという点からと、
下水道事業そのものが現状の(無理のない)料金体系で採算に乗るものかどうか
(ほとんどの都市で赤字で大荷物になっていますから)と言う点から、
現在各地で行われ各地で大赤字の大借金の元になっている大規模な終末処理場方式の下水道事業について、
反対を唱えているわけです。
石橋氏が「やめたい」と言ってらしたのは当然の感覚で、同情さえ致します。

例えば、下水道の経費回収率(=使用料/汚水処理料)の全国平均は、5〜10万人規模の町でもおおよそ半分、宇和島のように対象地域の人口が5万人以下のまちでは、3割程度しかないのです。
こちらを参考にしました)
こんなこと、十分予測されたことですが、
宇和島の場合、海の環境を守り漁場としての価値を維持するために税金を投入するという大義名分を立てて、
大きな財政リスクを覆い隠して事業化が行われたものと思います。
その大儀は、まさしく、金科玉条のごとく使われて、
経済性はまったく無視された状態に似たものとなったのでしょう。

下水道加入率が100%になったとしても、それによる水質浄化が水産業の振興に繋がり、
バブリーに税収が膨らみ、それを借金の元利払いにまわし、
膨大な基金を積み運用益を事業費の補填に廻さなければ、
この事業は永劫赤字を垂れ流すことでしょう(笑)。
大手ゼネコン・プラント会社が、政治献金をし、
天下りを受け容れ退職金をたんまりと握らせることで、全国に広がっている愚かなプラントです。
それが、
大規模な終末処理場方式の下水道事業」なのです。
それに加え、全国の地方都市が「普及率」という愚かな数字で踊らされているのです。
また、供用地域を広げるための工事が年々発注されるため、
地元の工事業者さんもウハウハで、それに近いすじの議員さん(国も県も市も)が多いですから、
自ずと『赤字』が判っていながら公共下水道が始まるところが多いわけです。

大きな荷物を背負ったものです。
市立病院の建て替えはまだ計画中ですから、まだ荷物の重さを減せますが、
下水道は、もうすでに市立病院並みの『200億』の借金を抱えています。
金利の負担だけでも吉田病院と津島病院の赤字分(平成16年で、1億9千万+2億2千2百万)
ほどかかりそうです(笑)。

私なら、すぐに本管を埋める工事は中止して、供用開始の公示後、
「宅地内の浄化槽便所、台所、ふろ等はすみやかに」また、
「くみ取り便所は3年以内に公共下水道へ直接流す水洗トイレに改造工事をする」
とする下水道法を根拠として、公共下水道への接続工事の市民負担部分への補助制度に切り替えます。
また、一部に聞く「市の指定工事店」への不信感を払拭するため、
市内在住の工事業者全てに工事権を付与し、
工事とその費用請求の確からしさは、
工事完了の全件検査(工事する業者は、他社の工事を検査する義務を負わせ)で担保したいと思います。
ここまできたら、いかに接続率を上げるかが肝であります。
工事費ばかり高く付く「管渠(汚水管の)」は、
すでに供用開始されている地域の加入率が高まってから(目標数値を決めます)
後に広げていくという考え方で行うのがよいと思います。

接続費用の補助制度は、接続による処理料収入の拡大を考え合わせて、
補助率を検討してはどうかと考えています。
通り毎・あるいは路地毎に、一括で繋ぎ込み工事を行うことで、
コストの低減に努め、高い補助率を実現した上で、未加入世帯への罰則も検討します。
年々膨らむ赤字額を市民に示し、その赤字の増大を緩やかにするために、
供用開始地域の加入率を100%に近づけるために税金を使うことと、
繋ぎ込みを拒否する世帯への罰則の必要性を説明ししてはどうかと思っています。


「放っておくと 大変なことになりますよ・・・!」って、
「たけしの本当は怖い家庭の医学」のコマーシャルみたいになってしまいました(笑)。。
 

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2005/ 8/22 政治家ならぬ政治屋に引導を

国政選挙のまっただ中の感、
公選法上の事前運動禁止の規定何するものぞとばかり、
様々な戦いが各地で展開されております(笑)。
こんなことだから、「どうして公開討論会で公約を発表できないの?」
という立法の不備を指摘される状態になっているのです。という話は置いといて・・・。(笑)

マニフェストも花盛りであります。
郵政民営化がすべてという選挙ではないでしょう、
それ以外の政策については白紙委任するというのでしょうか?
なにやら、某野党の主張みたいになってしまいますが、
みなさんはいかがお感じでしょう。

さてさて、郵政事業の全てを民営化すべきかどうか、
民営化の時期はいつがよいのか、どのような手段で民営化するのがよいのか?
巷に様々な情報が溢れておりますので、それについては触れませんが、
今回の郵政民営化反対議員に刺客をしむける自民党のやり方
『落下傘部隊が(各地で出身地や居住地以外の選挙区に)出馬する』ことについてはどう思われるでしょうか?
ちょっと、違った切り口でこの問題を捉えて、愚説を述べてみたいと思います。

地域のことを語るとすれば」、
「地方に住む国民の言葉を語るとすれば」、
国会議員が選挙区と離れた主張をすることは戒められるべきかもしれません。
実際、私たちは、地方対地方の公共工事の引っ張り合いで、
力のある国会議員が国土の均衡ある発展というお題目とは裏腹に、
自分の選挙区へ予算をとってくるという戦後を過ごしてまいりました。
そして、国のお金をいかに取ってくるかが、政治家(国会議員も知事も首長も)の評価でありました。
その力関係により、めざましい経済発展の裏に社会資本整備の地域格差が生れ、
その結果として、地方の財政力の差が大きく生じていると思っています。
国土の均衡ある発展というお題目の裏で行われた選挙区への予算の引っ張り合いは、
ある部分で、巨大な無駄遣いを生みました。
無駄遣いのお陰で、国は財政をほぼ破綻の状態へ追い込まれ、
地方はその財政を破綻(隠蔽していますが・・)させています。
そして行われた、中央から押しつけ的に行われる行財政改革(市町村合併を含み)。
三位一体の改革と言って、徴税権が地方へ来たとしても、
地方によっては今の行政サービスをとても維持出来ない状態であります。
社会資本の整備が遅れ、結果として、税収の少ない地域にとって、
国からの仕送りが少なくなれば、それがそのまま行政サービスの差に繋がります。
アメリカの州の格差ほどにサービスの差が出てくることは想像に難くありません。
そうなると、
「道州制が語られる中、関東の水瓶という一面を持つ別の州の県が、
 自らが関東州からはずれてしまうことに異を唱える」など、
地方(都市部という地方と田舎という地方も含む)同士の関わり合いが今までと違った面、
すなわち所得再分配の機構や財政力の差がある地方のどちらの一員に加わるかなどといった面で
語られることが増えてくるように思えます。

例えば、食糧安保を考えたときの地方の役割はどう評価しますか?
人材の供給地としての地方をどう評価しますか?
すでに、義務教育費の国庫負担の減額が決定しかけています。
つまり、地方のあり方、税収の少ない地方と税収の多い地方の税の再分配について、
地方選出の議員は語らなければ、貧しい地方はいつまでも貧しい。
そういう危機を迎えていると思います。
自分の地元に利益誘導する旧来型の選挙は時代遅れ(選挙で勝てないことに)となるべきでしょうし、
地元の利益を優先する政治家は必要ないように思います。
そして、地域密着するところの、世襲で生まれる政治家や、
国会議員などに秘書や地方議員を起用する後継選びが消え去ればよいと思います。
しかしながら、
今回の衆議院選挙で刺客と称される地元とあまり関係のない候補者が登場することは、
全く納得できないことであります。
国会議員は国益を第一に考える務めがあります。
しかし、その国益とはなんたるかという議論に、それぞれの地元の事情を代弁しながら、
地方と地方(都市部という)を如何に均衡を取って発展させるかということを
考慮する感覚が必要だと思うのです。
後援会という組織をベースにして、
地元や業界にサービスすることを第一に考える地域主義ではなく、
地方の生きていく方策を(国土保全などという概念も含めて)、
そして地方の均衡ある発展を考えて国益を実現する新しいシステムを構築するための
節目となる選挙と捉えてみませんか?
「国民新党」「新党 日本」の登場で、そんな感覚を持ってしまいました。
政治屋的地方代表は必要有りません。
国を語れる政治家としての「地方の代表」を新しい日本づくりの舞台に上げる選挙としなければなりません。
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2005/ 8/21 公務員をリストラしよう2
またまた、uwajima_dmlまーきみさんから頂いた投稿
に答えて追加の主張です。
「経済活性化」についても、全く同感です。
しかし、その点については、稿を改めて・・・(笑)。次回にでも。
まーきみさんのご高説と基を同じにして、
「これで宇和島に金が落ちる、と言って一部業界が鳴り物入りで大歓迎した、
【下水道事業】が大きなお荷物になっている点」を、
近藤先生の先のご投稿
についてお応えするかたちでまとめたいと思っていますので、
お許し下さいませ(笑・失礼)。

今回は、人事政策について危機感のなさをもう一つ、
合併でリストラ!組織の効率化を!一つに、公務員の削減!と言われていたことと思います。
少なくとも、「採用数を抑える」ことによって公務員の削減はされると思っていました。
しかし、近視眼的なとらえ方だと、自嘲しながら申し上げるとすれば、
それはやはり表向きのキャッチフレーズでしかなかったようです。
やはり、自らが可愛い、そういう為政者の集まりであったのかと嘆息せざるを得ません。

手元の資料で本年の4/1と8/1(宇和島市が3町と合併した日)の職員数
(パートも含めた社員数と考えて、)を比べてみます。

職員(正社員と考えて)は、定年等による退職者が10名ありました。
マイナス10ですね。
なのに、総数(職員・嘱託・臨時を合計した)では4名しか減らせていないのです。
減ったのだから良いと言わないで、もう少し読み進めて下さい。

ここで、問題にしたいのは、多くの皆さんがご存じの「嘱託制度だとか、臨時職員」の数です。
臨時職員というのは、
短期(法的には6ヶ月、慣習的に2年=愛媛県も2年だからだったりして(笑))契約で雇い入れた社員(失礼)です。
そして、嘱託は、
おおむね10年の契約で雇い入れ(正確な表現ではないのですが)される社員(これまた失礼)と聞きました。

この、8/1に臨時職員が23名減ったのに、嘱託が29名増やされています。
それで、合計がマイナス4名でしかないのです。
これはすなわち、
将来にわたる雇用数を2年×(−23名)+10年×(29名)=244人増やしてしまったのです。
244人役のリスク増大です。
良い人であれば、臨時で雇い入れしている方であっても、
改めて雇用契約をして人材として活用するのは当然でしょう。
しかし、誰でも10年間ずっと良い人かどうかはわかりません。
臨時を嘱託に切り替えることは、
リスクを5倍(単純に契約期間と比例してリスクが増大すると考えています)に上げてしまうのです。
契約で雇い入れ期間が長期に縛られるのですから、契約期間の延長は注意深くなすべきです。

合併直後の事務量の増加という理由は、頷ける節もあります。
しかし、これらの話を聞きながら周囲の仕事の様子を見て、全く危機感の感じられない、
「この人、いったいこれ(こんな仕事)でいくらサラリー貰ってるの?」と思えるのですから、
市民の感覚と役所の皆さん(当然、全員ではないですよ!)の感覚は大きく離れていると思いました。

「民で出来ることは民で」それは良いでしょう。

しかし、自分の身を軽く(身の丈にあった=歳入に応じた職員数)出来もしないのに、
現状の仕事を外部化することは、大きな誤りです。

現在、民間委託している仕事全てを見直し、
合併によって生じた余剰人員を振り向けられるところがないか検討して、
公務員の首が切れないがためにコスト削減がしにくい人件費部分のリストラを図るべきでしょう。
人員の削減と共に、民間委託を勧めるのが得策かと思います。
深く考えもせずに民間委託を勧めることは、
スリッパを履いて世間話をしている高給取りの職員の暇な時間をますます増やすことに繋がるのです。

こんなこと解っているはずなのに主張できない候補者は信用致しません。(笑)
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2005/ 8/19 公務員をリストラしよう
uwajima_dmlへのまーきみさんの投稿
に同調する主張です。

民間では、中高齢の正社員が時給***円の皆さんに職を奪われています。
そんなことから、経済的に追いつめられた方の中には、自ら命を絶つてしまう方が出てくる。
そんな悲しい時代です。
また、リストラする側の役職員も、「その職責に耐えられず自殺してしまう」
と言うニュースもたくさん聞きました。
そんな時代だというのに、一方で公務員の皆さんはどうでしょう。
法で守られ、首を切られることはほとんどありません。
どんなに地域の経済が疲弊しても、国家の財政状態が危機に瀕しても、
給料が下がることもほとんどありませんでした。
ここんところ、少しづつですが、各地で給与カットや給与体系の見直しがなされており、
国でも人件費の削減案が出たりしておりますが、
まだまだ民間と比べたらあまりにも恵まれすぎています。

たった一度っきりの試験に受かったぐらいで、
(地方の場合だと、選考基準も明確でなく、不正を使って入庁した者もいると聞きますが・・)
そこまでの身分の保障をする必要がどこにあるというのでしょう。
はなはだ疑問です。
まさに、立法の不作為という問題です。

さてさて、地方はというと、行政の効率化のための合併をしたとしても、
「その機会にダイナミックな機構改革の出来ない」多くのまちは、
結果的に大量な余剰人員を抱えることとなっています。
こんなとき、リーダーは、市民を守るため、大リストラに踏み切るべきではないでしょうか?
法律で首を切れないというのなら、合併を期とした(とりあえず、時限法ででも)
法改正(解雇可能とする)を求める声を上げるべきです。
特に、財政危機の先進地である宇和島のリーダーなら、
そういう気概を持ってまちの経営に当たって欲しいものです。
全国に先駆けて、市民の声の代弁者として、宇和島で声を上げるべきと思います。

「行政がどうあるべき」、「公務員がどうあるべき」、そういう理念を持てない、
あるいは持っていたとしてもそれに基づいて行動できないリーダーは無用です。
まさか、
選挙目当てで大票田の市職員へ自らのリストラ策を示せないでいるような
情けないリーダーはいないでしょうね。

不正をはたらいた者への処分にしても、前例主義とかで、
「甘っちょろい」処分がまかり通っているように思えます。
リストラの必要な民間では、これ幸いとがんがんと首を切っていくことでしょうに・・。
出向や転籍で給料が下がるのなんか当たり前です。
新しい市になったのです、新しいリーダーには、市民が納得する処分をお願いしたいと思います。
新しく前例を作るのです。懲戒免職や減俸しか市民には見えないと思います(笑)。

機構改革もしかり、減員が目に見えなければ、何のための合併かと市民は言うことでしょう。
その点は、次項にでも。
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2005/ 8/18 今度の選挙は、マニフェスト型公開討論会で
 一般的にマニフェストとは、政策について
数値目標
達成期限
財源
実行の手順 を明記した公約とされております。
 これは、英国で使われるマニフェストを直輸入した解釈でありまして、日本の地方自治体の選挙では、この要件全てを満たした「公約」を作って行くには、まだまだ厳しいところが有ろうと思われます。
 そこで、今回宇和島市長選挙で取り組んでみてはと主張したいのは、美辞麗句、良いことばかり・なんでもやる式の公約と一線を引く意味で、
【事後検証可能なもの】と考え、各候補者の皆さんには、鋭意具体的な政策を表明していただきたいと考えています。
 また、公開討論会において立候補表明者がいわゆるマニフェストなるものを配布した場合、公職選挙法で禁止されている、「文書図画の配布あるいは、パンフレット又は書籍の頒布」にあたらないかということもあります。この点については、「選挙のため(あえてこう表現いたします)」の公開討論会において、公約が発表できない、あるいはマニフェスト(選挙公約の形をとった)として配布が出来ないという公職選挙法の不備という問題は指摘しながらもあくまで、法律を遵守して公開討論会を進めなければなりません。具体的に、現制度の下では、下記に注意して、マニフェスト(利用できる形に)を作成して頂いて、それを題材に討論することは可能とされ、すでに公開討論会が開催されています。
 千葉県選挙管理委員会・神奈川県選挙管理委員会・総務省選挙課の見解によると、

下表、リンカーンフォーラムのマニフェスト型公開討論会マニュアルより引用

総務省選挙課
「純粋に政治活動が目的のマニフェストを配布することを違法とは断定できない」と回答しています(2005.2.1原田事務官)。
神奈川県選挙管理委員会・千葉県選挙管理委員会
 それぞれの知事選(神奈川:2003年、千葉:2005年)で松沢成文候補や堂本暁子知事が作成したローカル・マニフェスト冊子の実物を確認し、選挙運動性が無いために配布可能であるとの判断を下している

「選挙運動性がなく、純粋に政治活動が目的のパンフレット」であれば頒布可能としています。
また、選挙運動性があるかどうかの一般的な判断基準は以下の通りとの見解を示しています。
「選挙運動のために使用する文書図画」の「選挙運動」とは、
 特定の選挙で、特定の候補を当選させるための行為
 以下の3条件を合わせて兼ね備えた直接または間接的な行為
 @選挙を特定している
 A候補者を特定している
 B投票を依頼している

また、注意点として、
★ただし総務省選挙課や選挙管理委員会は個別事例について判断できる立場にはなく、それは警察や検察の職掌です。としています。
 そこで、私どもが全国で公開討論会を推進する基とするリンカーンフォーラムでは、
◆公開討論会(告示前)でのローカル・マニフェスト配布方法として、
  ・ 複数の候補予定者のマニフェストを一緒に配布する
    ※1冊にまとめて綴じる必要は無いが、セットにして来場者に手渡せればベター 
  ・ 選挙名の掲載は不可能だが、自治体名の掲載は可能 
  ・ マニフェストに候補予定者の氏名を掲載してよい 
  ・ マニフェストに候補予定者への投票依頼を掲載してはいけない 
という、体裁をととのえて、マニフェストの配布が可能(遵法の上)であるとしています。


以上、赤字部分リンカーンフォーラムホームページより引用

//////////////////
【マニフェスト記入書式】

政策1   
目標   
手段
期限
財源

の各項目を政策毎に記入する。
注意点は、
●記入する政策数に制限は設けず、必要なだけ記入できる。
●文字数制限はしない。
●「目標」「手段」「期限」「財源」の各項目について、すべてを必ず記述する必要はなく、柔軟にーな記入の仕方を認める。 「目標」「手段」だけを記入し、 「期限」と「財源」については空欄(当選後に詳細に定める)ということでも構わない。
●図やグラフを入れることも自由とします
////////////////////////
 ぜひに、マニフェストを配布して、わかりやすく政策を市民に知らしめ、政策本意で選挙が行われることを切に願っています。戻る


2005/ 8/ 7 あんたら報酬は受け取りなさんな!
ある市(宇和島ではまさか無いと信じますが・・)のことです、
合併で旧市の助役さんは職を去らなければならないのですが、
ある助役さんが、助役であることをもって、その職にあたるとされる(条例によって設置されている)
防災センターの理事を
(助役を辞めたら、その理事職を辞めなければならないという規定がないということを盾に)
辞めないで、職に留まっているといいます。
「その理事(元助役)さんが在任特例後の市会議員選挙に出るという」あたりから、
批判の声が高まっていると聞きました。
選挙前に評判を下げるのも困るからと、辞めるのではないかという話も聞きました(笑)。
が、私としては、それ以前の問題を指摘してみたいと思います。

なんと、彼の受け取る理事としての報酬は、月に20万円と言います。
冷静に考えてみませんか、市長さんが、その公の務めの延長とも思われる、
なにかの職に就かれました。
だからといって、手当をもらうこと、この財政危機の昨今にご納得なさいますか?
仕事を休んで、その分サラリーを削られる立場の人ではないですよね。
たとえば、
市議会議員が農業委員会の委員をするからと言って、
委員としての手当が必要なのでしょうか?
そう言う問題と、同列ではないですか?
手当がなければ、農業委員をやらないと言う方は就任を辞退していただければと思います。
規定の上で、
報酬が払われることになっていたら、
そしてそれを拒むことが公職選挙法違反とされると言うのであれば、規定をすぐに変えましょう。

自分たちが報酬を受け取っていながら、財政的に苦しいから、
住民に対してサービスの低下を我慢することが必要であるとして、
「まさに民の時代・協動の時代」などと言葉を並べて、
行政サービスの幾らかを住民自らの手で支えていただきたいと、
市民の皆さんに納得させることが出来るでしょうか?

それなら、
市民の皆さん(本意でなくとも)に
「私達も仕事休んできているのです、その分のサラリーは、
 こちらへ参加することで得られないのです。手当を頂けますか」と
 (ただをこねさせて)言わせてしまわないでしょうか?

わたしなら、官のコスト負担を低減するために、
様々な公設の役職手当(市や市が補助金などを交付する団体・組織などの)
は全廃をすべきと思います。
各個が公の役割を認識していれば、
市長としての報酬を受け取りながら、
あるいは市会議員の報酬を受け取りながら、
助役の報酬を受け取りながら、
その他の手当を受け取ることは無いと思います。
そんなこと、まったく時流に反していると思いますが、いかがですか?

当然、様々な経験を各所で活かされることは、とても有意義なことであると考えます。
しかし、そんなもんあんたらの給料の範囲で働くのが当たり前ちゃうんかい?
報酬が余分に欲しいという考えなら、即刻辞表を提出しなはい(方言です)!
それでこそ、改革が進むというものです。
まず、隗より始めよ。と言うではないですか。
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2005/ 6/30 情報の使われ方・生活保護の不正受給を題材にして
官と民の役割分担、ここでは、話題の「郵政民営化」の論は避けますが、
現在、官が行っているサービス
(民間よりも高いコストで低い意欲な場合が多く、当然効率も悪い)
を民に任せていこうという理屈に異を唱える者は居ないでしょう。
駐車違反の取り締まりを民に任せる動きも具体的になっていますが、
今日は、民生費の削減策について述べてみたいと思います。
というのは、
「実際には収入があるのに」だとか、
「実際には、生計を一にする夫婦なのに離婚により経済的困窮に陥った」として、
生活保護を不正に受給する輩を取り締まるのに、民のシステム
(歩合制で、不正受給を突き止めたら、その受給額の数%を手当てとして支給するなどして(笑))
で行えば、
どんなことになるかと考えたあたりからこの稿を書き始めたのです。(笑)

さて、民生費の削減と言ってしまうと、社会的弱者に対する生活支援サービスやら、
経済的援助を減すこと、すなわち「福祉の後退」であると批判されそうですが、
今回は、皆さんが「そりゃそうだ」、と膝を打つこと間違いのない点から
「削減案(策)」の提案をしてみたいと思います。

いつだったか、九州の長崎(だったか)のケースワーカーが、
相談に来た被保護者に刺されて命を落としてしまうという痛ましい事件が起こりました。
宇和島でも、被保護者が窓口で大声を上げるとか、持っていたフライパンで殴りかかった(笑)とか、
いろんな話を聞きます。
そういう窓口業務にあたる職員の皆さんのご苦労にはまことに頭の下がる思いでございます。
刺されて命を落とすことになった長崎でのケースは、
生活保護を打ち切られたことに逆上した被保護者が脅そうと思って持っていたナイフで
思わず刺してしまって、死に至らしめたという事件であるようですが、
その事情
(被保護者がどういう理由で生活保護を打ち切られたのか、
 たとえば規定以上の収入があったとか、誰かから援助を得る立場にあったのか、
 あるいは、被保護者として果たすべき義務を果たすことの指導に従わなかったのか、
 など何らかの事情があったのであって、
 ケースワーカーが好き嫌いで決められるわけでもないのですから)は、
公判資料などを見なければわかりません。

もっとも、事情が何であれ、
ケースワーカーに非がないことは信じたいと思いますし、
非があろうが無かろうが、こういう危険が伴うサービスを民間人に委ねて良いのだろうか?
あるいは、個人の情報の取り扱い
(個人情報保護法に過敏に反応している点はまた稿を改めたいと思います。)には
慎重を期すべきで、それを扱う仕事に民間人をあててよいのか?
(どういう立場の者が扱うとしても、その職にあたる者の行動は当然制約を受けるべきです)
とも考えています。

しかしながら、
ここでは、その一歩も二歩も前の手段で民生費の有効利用が出来るという例を示します。
つまり、生活保護給付に対して、給付する側(市町村)が内部でもって情報をやりとりすれば、
必要ない(不正な)受給を削減できるということです。
たとえば、ここに、病気で働けないからと生活保護を受けている人がいるとします。
提出された医療機関の発行する診断書には、「就労不可(仕事が出来ない)」とされています。
実際に仕事が出来ないのであれば、当然公的扶助の対象となるべきであります。
しかし、そういう方の一部には、隠れて働いて収入を得ている方がいるのが現実です。
それが、現実にケースワーカーの面接で、見抜けないことも多々あるというのです。

それは、ケースワーカーの能力の問題なのでしょうか?
確かにそう言う面もあるでしょう。
やる気のあるなしという問題もあるでしょう。
自分の金を出すのであれば財布のひもも堅いのですが、
人の金を自分と無関係(支出を抑えたからそのケースワーカーの給料が上がるわけでもない(笑))
に支出するわけですから、
仕事に身が入らない人もいるでしょう。
しかし、ここで私が伝えたいのは、ケースワーカーに隠して収入を得ている事実を、
行政の立場で知りうるチャンスがありやしないかということです。
具体的には、課税台帳の情報と被保護者の情報を付き合わせれば、
ケースワーカーが所得無しと認識している市民が源泉徴収を受けているということを
突き止めることが出来るのではないでしょうか?
皆様の町ではいかがですか?
財政的に苦しい各地の自治体は、様々な場面で予算を切りつめ、
必要な部分へも予算を振り向けられない現実があります。
限られた予算を有効に利用するため、こんな不正受給は、即刻支給を停止しなければなりません。
本当に困っている方への福祉施策を維持あるいは拡充するためにも、
不正は正さなければならないのです。

課税台帳は、個人情報の最たるものです、当然誰もが目に出来る物ではありません。
しかし、不正受給を根絶するために、情報は有効に利用されるべきです。
宇和島では、当然課税台帳と被保護者の名簿は付き合わされていることと思いますが、
皆さんの町でもどうぞ、ご検討下さい。 
私には、課税の目的以外に、課税台帳を利用することの法的根拠を語るまでの法的知識はありません。
しかし、会計検査院が、「課税台帳との照合」を指示しているのは事実です。
たとえ法整備が成されていないとしても、それは法の不備であり、
まさに、
市民の声を代弁しているものと思います。
仕事をしていないとして、生活保護を不正に受給している不逞の輩を引きずり出すために、
個人情報が使われることに誰が異を唱えるでしょう。

このように、行政機関同士あるいは部署間で情報をやりとりすることで、
無駄を省くことが出来るなど出来る事例はまたまだあるでしょう。

官から民への流れと、個人情報保護法の施行から、生活保護費の不正受給へ。
機を改めて語りたい、国民総背番号制(反対する側の悪意に満ちた呼称と思えますが・・・)についてまで、
重ねて考えた拙文です。失礼を致しました。
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2005/ 6/ 8 教科書採択に市民の力を
特定の教科書をねらい打ちにした、採択反対運動が行われていますね。
「お母さんが、そして主婦が反対。現場の教員が反対。」
メディアの取り上げ方も偏っていますよね。
朝日・毎日の取り上げ方と、読売・サンケイの取り上げ方は違います。
愛媛新聞はどうでしょう。(笑)

首相の靖国参拝について、
三権の長と称される衆議院議長が発言しましたね。
「おいおい、中国に気に入られるためには、何でも在りかよー」と思ったのは、
私だけでしょうか?
確かに地理的に近い国々とは良好な関係を保っていくに超したことはありません。
しかし、日本の魂を捨てて良いのですか?

金の亡者になってしまった、
財界の一部大馬鹿者どもが自国の尊厳よりも金を優先させていることは、
本当に腹立たしく思ってしまいます。
「中国新幹線の受注に影響するから、参拝は控えて欲しい」だとか、
不買運動が怖いのか、
「中條(アサヒビール名誉顧問)氏の発言は、個人的な発言で、社としては関知していない」なんて、
言い逃れてしまうなど。
財界の一部は、お金という魔物に完全に魂を抜き取られております。

あなた方の親の世代が、命をかけて守ろうとしたものは何なのでしょうか?

どうして、たくさんの若者が自分の命を散らして、この国土を守ろうとしたのか?

老いた父母・幼い弟や妹を守るために自らが盾となろうと戦地へ赴いた、
名も知れぬ兵士の思いの集まる靖国で、不戦を誓うことを何にはばかる必要があるというのでしょう。

私たちに必要なことは、「一部の運動家の意見が、さも大多数の世論だ」と言うような、
一部メディアの騙しのテクニック(世論操作の)に乗らず、
自らの価値観に基づいて判断することだと思います。
そして、機会が有れば、その良心に従って意思表示することをお願いしたいと思っています。

授業を放っておいて、労働組合運動に奔走する教員が大声で特定の教科書を批判して、
その教科書が検定に合格したことまで非難して、
教科書採択の土俵に上がることも許さないと主張するのです。
教科書は国が決めてしまうというどこかのお国とは違いますのに・・・。
また、仕事もしないで子育ても放っておいて教科書選定に圧力をかけるよう過激な運動をするお母さんは、
いろいろなところへ出かけて反対の呪文を唱えます。「何かおかしい」と気づくべきです。

日本の国を、日本の歴史を、日本の伝統や祖先を否定する教科書が良いのでしょうか?
もっと言えば、
どうして自分たちの国の子らを教え育む教科書の選定に他国の干渉があるのでしょう?
確かに日本は、お隣の国とは違い、「どんな意見でも述べることが許される」自由な国であります。
ですから、教科書採択に対して、
どんな意見があろうと、それが発せられることは認めなければなりません。
しかし、ここで問題なのは、運動家の行動が、
『古くは親朝(北朝鮮が理想国家であると言ってさえいた皆さん)でもあったりした』
親中(中国の言いなりの皆様)派の多いメディアに増幅されて、
「新しい歴史教科書」を認める立場の発言を押さえつけようとしていることです。

今一度、冷静に見つめ直しましょう。
発言を押さえつけるような運動は非難されなければなりません。
様々な意見があることを認め、たどり着いた結論をとりあえず(誤謬性を認めて)良しとして、
常に少数意見に耳を貸して、その結論を見直していく、そう言う国であって欲しいのです。

なのに、今の日本は・・・。
そんな日本に生きていると言うことを、冷静に考えましょう。
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2005/ 6/ 5 日本共産党南予地区委員会の質問に答えて
1.毎日の暮らしはいかがですか
【選択】 悪くなっている

2.いま、困っていることは
【記述】
大企業中心の経済政策、行きすぎた自由競争主義。
自由と規律・守るべき秩序とのバランスを考えないような経済優先(お金優先)の社会ルールができつつあること。

3.みなさんの暮らしやでこれからの街づくりで行政、議会がいま一番取り組んでほしいことはなんですか?
【選択】 オ.環境問題 カ.農漁業問題 コ.その他
 一部の企業が利する(結果になる)予算配分を止めて欲しい。行政内部の不正あるいは、不公平体質をなくして欲しい。

一.医療・福祉
【選択】 オ.その他

 なんでも行政に負担させることは間違っています。
そもそも(介護も含め)病気になったら自分の責任で治療を受けるべき、そういう問題なのです。
あくまで、弱い者を助ける制度として、医療保険制度・福祉制度があるのです。
それを認識すべきです。
そうすることによって、
国民誰もが、困ったときに十分に厚く治療や公的扶助が受けられる制度の維持が可能となるのです。

二.教育・子育て

【選択】 キ.その他
 教育・子育てについての問題も施設整備や制度改革で解決が出来るものではありません。
意識改革です。
そもそも、教育や子育てについての責任は、親や家族が負うものなのです。
その責任を負えないような家庭に育つ子等を育むために不足部分を地域が担うものなのです。
何か問題があると、社会や地域のせいにする現代の風潮は、社会の破綻に繋がります。
一方、義務教育という制度がありますが、それは上級学校に進学するための教育ではなく、
人間として最低限度のルールを身につけて、(社会のために)生きる力を身につける、
まさしく基本的な日本人として義務的に身に付けて欲しい人間力をつける為の教育であるべきです。
がんばる者が正しく報われる社会のルール作りをして欲しいと思います。
教員が労働者に成り下がったことが日本に様々な青少年問題(ひいては国家危機)を
引き起こす元凶になっていると思います。

三.生活環境

 ゴミ処理についても(自分たちが生きるための)コスト意識(誰がどれだけ負担するべきか等)
がまったく欠如しています。
まず、環境を守るためにはコストがかかるものであると言うことを認識すべきてす。
例えば、ダイオキシン(選択肢にあるので上げています)の問題も解決には
コストが多大にかかるものですよね。
それをすべて行政に任せるのは間違いなのです。
行政の責任というより生活者(排出者)自身が責めを負うものなのです。
そして、生活者は、この負担を行政に求めず、大企業・生産者に求める価値観を作るべきであり、
それを担保する制度を作るのが国であり、地方行政であります。


四.その他 要望が有れば(市、町立病院問題などなんでも)
 普段からの私の主張をご覧下さい。

五.合併による不安やご意見はありますか
 行政のリーダー・議会人が今まで通りの尺度で居られたら、この地域に将来はないでしょう。
新市のリーダーの選択は、
今までの行政の延長で行う地域作りでよいかどうかを考えての選択でなければならないと思います。
近視眼的な政策しか打ち出せず、小さな視野しか持てないリーダーは駆逐されるべきです。
同様に議会へも、世界観・国家観を持った上で、
この地域がどうあるべきかを議論できる人物にこそ加わって欲しいと思っています。


六.街づくりをすすめるうえで議会や議員に期待することは何ですか
 今の宇和島市の行政は情報公開が不十分であります。
多くの部面で市民に開かれていない現実がありますので、
行政や議会の様子をすべてオープンにしていただく役目を議会人に求めます。
そして、自らが身をただすこと、
たとえば、自分が役員を務めるなどする企業が市等から受注を受けることが多い
(何%まで認めるか議論して)者は立候補できないよう制度を改めたり、
自分の身内を市役所職員に採用させることが出来ないよう条例を作るべきです。


七.日本共産党へのご意見
 日本が共産主義国家になることは一切認めたくありませんが、
貴党の情報捜査能力(社会的弱者が困っている情報の掘り起こし、大企業の不正の指摘能力等々)は、
他党にない組織の独立性に因るものと思います。
今後も不正をあばく公党として、議席を伸ばされることを期待します。 

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2005/ 4/24 施設整備の在り方・サッカー専用競技場完成報道を目にして2
多目的広場名目で
「サッカー専用競技場」が竣工したというお話に対して、
吉田町の元商工会長さんで町議さんもされていた高橋正登さんから、

想い起こせば、『闘牛場』も正式な施設名は『宇和島市体育館』だったように記憶しています。」
と指摘されましたので、
それにご返事のつもりで、再度サッカー専用競技場について補足してみたいと思います。

確かに、「闘牛場」も似たような予算の取り方をしてきたと聞いております。
ですから、ある部分でとても似ていますが、大きく違う部分があります。
高橋さんもお解りだと思いますが、先稿では、それを問題にしています。

それは、石橋市長ご自身の、
自分が達成なさったことなどを喧伝しない紳士的なご性格によるものかもしれませんが、
そもそも、補助金や交付税措置(国や県からお小遣い)を得るための要件や補助の
制度趣旨に沿うもの(良い子にしていれば)に補助があるのであって、
そのことが、
どの町も同じような事業を行って、
どこへ行っても変わり映えのしないまちづくりが進んだことに繋がっていることは承知しています。
金太郎飴的まちづくりと言われています。(笑)
このことについては、別の場で語りたいと思いますが、
「補助を受けるためのテクニック」という、そう言う意味では、
『闘牛場』も『サッカー専用競技場』も事業名称などが実体と多少離れた物であっても、
実を取る事業として補助を上手く受けて施設を充実していくことが成功したのですから、
失敗とは思いません。
それが、もし、議会で議論がなされ、市民の意見が聞かれ、
サッカーを愛する皆さんの思いを取り入れた、そんな事業であれば、まったく無問題だと思います。

しかし、市議会を欺罔し、
今になっても多目的広場であると言い続けることは、
それは市民の中に疑問を生み、市政への不信を生じさせると思います。

私なら、丸山球場の補修のために、何千万円かかったとしても、
(多目的広場整備に回す前に)危険でない丸山球場を取り戻します。
当然、そのために頂ける仕送りやお小遣いは探したいと思いますが・・・。

ちなみに、個人的には、野球もソフトもサッカーも特別に思い入れのあるスポーツではありません。
ですから、比較的思い入れのある、
『陸上競技場』がサブグランドが付帯しないが故に、
競技場としての格が下がり、大会誘致に支障が出ることや、
あるいは、駅伝やマラソンのスタートゴールとして使いづらい場所にできあがることについては、
疑問を感じずにいられないという程度の感想しか持たないのですが。
それを強く主張することは、我田引水的な了見の狭いことを言うように聞こえてはいけませんので、
主張しないで居ましょう。
まぁ、地域全体を考え、陸上競技場は、三間町などのフラットな場所に整備して、
フルマラソンの大会を開けるような、
そういう自治体の枠を越えた施設整備が成されるべきとは主張したいと思います。
市町村の合併がたとえなくても、圏域が協調して、施設の整備を進めていくべき事は、
たびたび主張して参りました。(笑)
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2005/ 4/10 情報開示の必要性・サッカー専用競技場完成報道を目にして
4/8付けの産経新聞によると、
宇和島市に四国にサッカー専用競技場が完成したとのこと。

オープニングセレモニーに地元のサッカーチームによる交流試合があったそうです。
この情報で、皆さんは、どうお感じになりましたか?
数ヶ月前に、市議会議員さんから、多目的広場が出来るとのことお聞きしました。
それが、まさか、サッカー専用競技場とは?
私は、サッカーに特に思い入れがあったり、
宇和島でソフトや野球をする人が多いことを十分に認識していませんので、
サッカー専用競技場が出来たことの評価は避けたいと思います。


しかし、なぜ、多目的広場として予算を審議した(らしい、伝聞です。)のに、
できあがってみると四国初のサッカー専用競技場になってしまうのでしょう。
宇和島がその競技場を必要とするなら、どうして建設計画の段階から市民に知らされ、
オープニングセレモニーが安価な中でも盛大に行われなかったのでしょうか?

子供たちは、
ブラジルやアルゼンチンのようにまちでサッカーボールとともに育っていますから、
そんな必要ないのでしょうか?(笑)
宇和島のお父さんと男の子は、サッカーボールで遊んでいます。(笑)
キャッチボールする親子は見たこと無いです・・・。(笑)


どうして胸を張って、まち作りの中のサッカーの位置づけを語れないのでしょう。
語っていらっしゃるのに、私が耳にしていないだけなのでしょうか。
確かに、諸々で忙しい(笑)のですが(爆笑)。

ここに来て急ピッチで工事が進んでいるように見える大浦湾の埋め立ての問題でもしかりであります。

「大浦湾の埋め立てで50億の新たな借金が出来るけれども、これこれこういう利用プランがあり、
 有効な投資と判断して、それだけの借金を宇和島が背負うことを良しとする」など、
どうして説明できないのでしょう。

私なら、すべての案件を担当部署に指示して、
市民向けにいつでも説明できるように準備させます。

あるいは市民が情報を検索したら、どんな案件でも(プライバシーの問題をクリアする形で)閲覧できる、
そういうサイトを作ります。

その情報は、庁内でも当然有用です、横断的な政策決定が可能となります。

情報開示、今後の政治は、それにつきます。
その点は、補助金検討委員会の答申でも触れましたが・・。

たとえば、昨今紙面を賑わすことの多い自治体職員に対して給付される手当等についても、
私なら、全てをオープンに致します。
その手当が適正であるということを担保するために、
市民有志に妥当性を議論してもらいます。
当然、匿名で異論を提示できるウェッブ上の掲示板も作り、
市民が納得しない手当などは、関係法令の精査を進め、
改正可能なもの・廃止可能なものは、勇気を持って即時に対応致します。

市政幹部は、市役所という大企業の企業利益を第一に考えるようではいけません。
出資者である、市民の利益のために、市役所という大企業の社員と対峙する主張も必要かと思うのです。

市民が味方であれば、選挙目当て(一部で言われている)で、
職員の待遇にメスを入れられないなどという情けないことにはならないのです。
(従業員の利益と出資者の利益衡量ではないのですからね!)

「公僕としての務め」というスタート地点に帰って、
市民第一の市政を実現しなければならないと思います。その為の情報開示です。

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2005/ 3/25 市立病院建て替えについての疑義・頑張れ宇和島の建築士さん
市立病院建築について、
医療関係者だけではなく、市内の建築士さんが、
「市立病院の建築坪単価があまりに高額ではないか?(

 徳州会病院の建設単価の2.5倍以上の
)」と問題視され、
建築専門家向けの説明会の開催を申し入れているそうです。
多くの市民に理解された上で、市立病院改築プランが決定されることを願います。

坪単価の話を聞いていて、この件を決済なさる方は、これもまた
「出来レースゆえに仕方ないこと」と考えているのかと悲しくなりました。
いったいどうしてしまったのでしょう。一市民として、とても不安でありますし、
医療関係者や建築専門家ら専門分野の市民の意見にさえ耳を貸さないことは、
まったく不満であります。まるで、専制的な違和感をもってしまいます。

立派な市立病院が出来るのはよいことです。
誰かのお金で建てられて、その恩恵を市民が受けるのであれば、まったくもって、
300億かかろうが400億かかろうが、手放しで大歓迎でハグしてしまいます。(笑)

しかし、私たちの財布(国からの仕送り部分は、20%ほどですか?_)から
その建設費が出ると言うのですから、
施設規模(質量共に)が身の丈にあったものなのか?
その点は、とても重大なことであります。
合併特例債を何割か(八幡浜は1/4使ったという)使うとしても、
それは限られたパイ(合併特例で起債できる額は上限が決まっている)の分割ですから、
市立病院が出来れば、その分他へお金は回らないことになるのです。

たとえば、市立病院が出来たとして、その採算計画はどのようなものなのですか?
そして、私たち市民の負担はいかほどのものなのですか?
まったく明らかにされていません。どなたが、それを良しとされたのですか?

また、ある県関係者は、
「市が建てると言われるのだから、出来るのではないですか?」と発言されたそうです。

これは、宇和島市が市立病院改築に頑張っているから、
県は協力を惜しまないよというスタンスの表れでしょうか?

どちらの言い分が正しいのでしょう?

行政の担うべき役割として、
「誰もが平等に生きる権利を全うできるように」と、
あまりに高額な税負担を良しとするのはバランス感覚がない愚論です。
我慢しなければならないところがあれば、我慢しなければならないのです。

日本人が世界的にトップレベルの恵まれた医療環境にいることは誰も否定しないでしょう。
しかし、あまり多くを望むと、医療保険制度は破綻し、お金のない人は医療を受けられない、
そういう国になってしまう恐れがあると考えています。
税金や保険(国民皆保険の)の制度の中でまかなう医療をどの辺りと考えるか、
それを選択しなければなりません。
そのあたりの認識が、石橋市長と私の間ではまったく違って、
乖離しているものと感じております。

トップに必要なのは、バランス感覚です。もっと言わせてもらうと、
環境への順応性(バランスを持った)だと思います。

地球上の生物も強い者や大きい者が生き残ってきたのではなく、
小さくとも環境に順応できた生物種が、長らく生き続けているのです。
環境変化を感じずに
(水の入った鍋のカエルが、その鍋が火にかかっているのを感じずゆだってしまうように)、
死んでしまう、そんなことでは困ります。(笑)

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2005/ 3/ 7 市立病院建て替えについて 2報
今回とられた、プロポーザル方式自体は、
正しく運用されればまったく悪い方式ではありません。

ただ、この点については、入札でも一緒でして、
談合が有ればどちらも一緒で
単なる隠れ蓑です。
裏で動きがあれば、どちらも単に「手続き」として、
プロポーザルや入札を経たというアリバイを作るだけの頬被りとなるとは考えています。

今回私が耳にしたというか、
なんとかこの問題点を市民の目や耳に届けることが出来ないかとある方から届けていただいた情報によると、
出来レースのプロポーザルは、
認可されるはずのない「市立病院建て替えの現プラン」の認可を受けることの見返りとして、
行われたというのです。
それが事実で有れば、たいへんなことです。

一方、病床数について、
市立病院が、社会的入院を抱える病院としてあるべきではないという考え、
そして、投資をいかに小さくするかという点から申し上げております。

先に触れた、450床を150床へ減し、
療養型ベットへ移行するというプランが立てられたのは、
高齢化の進む当地としては、まことに現状に合うことだと改めて評価しているところです。

一次外来重視から脱して、病診連携の基で、患者が減っていくということは、
一人の患者さんにゆっくりと時間をかけて診療が出来るということです、
誤った大病院指向が、国民皆医療保険制度を危機に追いやっていることは、周知の事実なのです。
そして、一次外来の多い、忙しすぎる病院から医師が離れているのも事実です。

制度的に、地方の公立病院から医師が居なくなるという問題についてはNHKも特集されていました。

市立病院は、医師にとっても患者にとっても環境の良い医療機関であるべきです。

現状、重篤な患者さんの多くは松山へ行ってらっしゃいます。
市立病院がそんな病院のままでよいのですか?

「少し良くなったから退院」という判断はもっともっとシビアにされるべきです。
平均入院期間に目標値を定めて、より早い回復に努力しているのが各地の医療機関の現状です。
「長期の入院」これまた、医療保険制度を揺るがす大きな負担の一つです。
コネがある方なら社会的入院を許すという現状があったりして、
そういう現実を見て、
「追い出された」とお考えになるのではないでしょうか?


流行の「民で出来ることは民」と考えるならば、少し良くなった方は、
近所のかかりつけ医さんで面倒を見ていただくのでよいのではないでしょうか?

また、診療所の先生と大病院の先生を比較して、大病院の先生の方が優秀だという点についても、
まったく根拠はありません。
例外も当然あるでしょうが、数ヶ月で転院する若い先生よりも、
経験のある「地場で」医療行為を続けてらっしゃる診療所の先生の方がずっと信頼できると思います。
これまた、日本にはびこってしまっている誤った大病院指向です。

私の地域構想のひとつです。
メンフィスのような町をイメージして、多くの患者さんが宇和島を訪れる、
あるいは高齢な方々が、安心して老後を過ごせる街として、
市立病院の規模と在り方は再考が必要だと思うのです。

設備やシステム・スタッフにお金をかけるべきで、
安定した容態の入院患者を留めておくベットにお金は回すべきではないのです。

この市立病院について、

「工事が始まろうとしている今、再検討をすべきところがあるとはあんまり思えません。」
と考える方が居たとするならば、

たとえ、工事を始めていても、再検討の必要がないということは言えない
とはっきりと主張したいと思います。

諫早湾の干拓、中海-宍道湖の干陸事業、いずれも止まったではないですか?

意に添わぬ反論に対して、「工事が始まったから、再検討すべきところがない」
と考えられるのは、たいへん寂しいことであります。
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2005/ 3/ 6 市立病院建て替えについて
市議会議員諸氏の英知を信じたいと思いますが、
平成17年度の当初予算案に市立病院改築に約20億が含まれ上程されました。

 おおかた200億ほどの市立病院改築費用と聞いています、
5年前に練られていたという、市立病院建て替えプランの頃と時の経過だけでなく、
環境が大きく変わったことに気づいていないのでしょうか、
いえ、気づいているけど、
強引に建て替えを進めたいが為に問題(下記のような)を矮小化して見えなくしているのでしょう!

 例えば、5年前と変わった点、厚生省が厚労省に変わっただけでなく、
厚労省は、
公立病院が現状の配置で現状の件数存在することにはっきりとノーと言っている
ことから目を背けているのではないですか?

建設費の40%が国から補助されていたのはもう帰ってこない遠い昔のことなのですよ。
来年度以降何%になるかは存じませんが、
22.5%(もうすでにそこまでカットされている)以下になることは政府が保証してくれています。

そして、近年の医療費の点数制度の改定で、ますます黒字経営は難しくなっています。

その上、当地では、徳州会病院の参入、すでに8割方ベットが埋まっていると言いますのに・・。
いまこそプランを見直すべきです、

自治省がゴーサインを出してくれますか?(正規ルートで)
県が一緒に歩んでくれますか?(特別な力を使わずして)

今考えるべきは、採算ライン(正確には年々の赤字額)を下げるために、
投資額を下げる、プランの再考です。

次代の宇和島市民の財政的お荷物となる、
現プランでの市立病院建て替えには反対の意見を述べておきたいと思います。せめて・・。

どうして、建て替えが進んでいるか?
無理やごり押しがなければ建たないという事実は、
宇和島市の身の丈に合わないプランであることを示しているのです。
吉田町立病院、津島町立病院の赤字問題の処理のめども立たない状態で、
市立病院建て替えを進めるのは、拙速と思います。

君子豹変。小人不変。

プラン見直しを議員諸氏の英知にて進めていただきたいと、切に願います。

こう書く私に、「宇和島には拠点病院はいらないと言われるのでしょうか。」
と批判がございましたので、以下に加筆いたします。

私の主張は一貫して、現状の一次外来受入の総合病院ではなく、
高度医療・救命救急に特化した、たとえ赤字でも
(まず赤字ですし、採算のらないからこそ公で担うべきところかと考えています)
必要な地域のための病院というプランです。

以前のプラン(徳州会病院が参入する以前の)で、
450スタート、数年で300へ、後には150へと、
病床数を減すというものだったことを考えても、
私の考えは間違っていなかったと胸をなで下ろしています。(療養型ベットへ変更して行くプラン)

現在進められているプランと比較しても、
明らかに過去のプランの方が現状を反映していると思います。

以上が私のお願いしている一点目、プランの見直しです。

二点目が、出来レースという噂さえある、市立病院のプロポーザル方式についてです。
確かに、プロポーザル方式は、
「設計料の値段でプランを決める」という過ちを犯さないという大きなメリットがあります。
しかしながら、コンペ、あるいは入札制と比較すると、
明らかに客観的な基準を決定しづらく、
法治ではなく人治的な施策決定の一面を持ちやすくなります。
また、その決定は、設計者(人)を選ぶ意味合いが大きくなります。
ですから、その選定基準、客観的な評価基準の存在が重要となります。

私の感覚では、全国の公共事業で導入が図られているプロポーザル方式は、
新たな談合手段とさえ感じています。
なぜなら、病院建設の基本設計者を選ぶ審議会か委員会とか言う方々が選任されて
進める会議の内容の完全な公開が成されたとしても、
プロポーザルの結果がイクォール委員の主観評価の結果という事態に陥る可能性が大
と考えるからです。
実際の所、当市の市立病院の基本設計者を選ぶ権限を委ねられたメンバーは、
どなただったのでしょう。

この新生談合とも言うべきゆゆしき事態は、
身の丈に合わない巨大投資に認可をおろし、
もって私腹を肥やさんとする権力者の口利きで進んでいると言うことがささやかれています。

石橋市長の市立病院改築の思いが、利用されて、
特定の誰かの利権と結びつけられていることを問題と感じているのです。
いつの日にか、このことが白日の下に曝され、私の主張が正しかったことが証明されることでしょう。

21世紀型と称して再選された石橋市長が新生談合に関わっているとは考えていません。
上に掲げた2つの問題。すなわち、
1.プランが現状にそぐわない
2.今回のプロポーザルが、実質的に出来レースでなかったか?
という点を、ここでは皆様にお伝えしたいと思います。

加戸知事が以前どちらかのご挨拶で引用された歌ですが、
与謝野晶子という五千円札の肖像の歌人が詠んでいるものです。
 

 「劫初(ごうしょ)より造りいとなむ殿堂にわれも黄金(こがね)の釘一つ打つ

市立病院という「殿堂に」、たった1人であっても、私は黄金の釘を打ったのだ。
そう思って過ごしていきたいと思います。

>あれれ、武田さんらしくない書き込みですね。
 宇和島には拠点病院はいらないと言われるのでしょうか。
というML仲間の投稿がございましたので、追加致しました。
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2005/ 3/ 5 下灘漁協の損失補償とはいったい?
宇和島市と吉田町・三間町・津島町の合併調印がされたようです。
合併の際の大きな課題とされていた「下灘漁協の損失補償」は、
何事もなかったように通り過ぎていったようです。
この経緯について、とても市民に対して十分な説明が成されたとは思いません。

さてさて、この補償、
表題に掲げた下灘漁協の損失補償を津島町がしなければならないとされる根拠は何なのか、
理解できないで居ます。これは、義務的経費とは飛んでも考えられません。(笑)

補償というと、すくなくとも行政サイドの不作為があり、
それを根拠として、補償義務が生じるとされて初めて債務を持つと言うことになるのではないですか?
おおまけにまけて考えたとしても、
これは民(下灘漁協)と民(愛媛県信用漁連)の契約成立に手を貸す、
行政の補助というものではないのでしょうか?
なぜ補償しなければならないのですか?

これを、補償としてしまうと、時期を違えたとしても似たような対象に対して、
補償の義務を免れないのではないかと思ってしまいます。
どなたか、今回の補償の法的根拠をご説明いただけませんか?

行政の関わり方としては、融資や利子補給で支援をする県の姿勢がまっとうであると思うのは私だけでしょうか?

(県の推進する)合併を急ぐあまり、行政のあるべき姿、
政治と民業の関わり方の根底を揺るがすことに目をつむった大事件と思います。
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2005/ 2/ 6 次の選挙は、マニフェスト型公開討論会
先の宇和島市長選で行われた、ある市民グループの公開討論会(リンカーンフォーラム形式でない)
についての大和田さんのご意見へご返事を兼ねて、投稿した内容です。

大和田様
  皆様
 ご返事遅くなり申し訳有りません。少しづつ、ご返事申し上げたいと思います。
 こちらは、選挙後もいろんな方にお声掛けいただき、皆さんお感じの地域未来の危機を、
つくづくと、そして今更ながら感じているところでございます。
 今回の市長選、少々残念な部分がございましたね。
前回より後戻りしてしまったのではないかと、残念な気持ちでいっぱいです。
例えば、両候補ともマニフェストが作られなかったこと、これはとても残念です。
8月までという短い任期が想定されているわけですから、その間に何を成すか、
一方は現職、一方は市議・県議歴の長い方でしたのに、
マニフェスト選挙に脱皮できなかったこと、これは私たち市民の不幸なのかもしれません。

しかし、それが私たちの市民意識を映す鏡であると考えれば、
多くの市民が、「南予中核都市」だとか言って、
根拠のないプライドを持って安穏と居続ける現状の裏返しのものなのかと考えてしまいます。

 新聞報道等で、ご存じのことと思いますが、
2/4に東京で開催された
「ローカル・マニフェスト推進首長連盟、ネットワーク結成大会」と同時に発表された、
ローカル・マニフェスト推進首長連盟には、
県知事の加戸さん、松山の中村さんや八幡浜の高橋さん、西予の三好さんら、
早速に加入されているとのことです。(2/5時点)
加入のご案内が、1/11に事務局から知事首長宛発送されたとのことですので、
選挙戦間近だった石橋氏がご加入されていないのは、事情ありと察しますが、
次の選挙は、各候補のマニフェストが発表され、
高い志を持った、市民グループによって、マニフェスト型公開討論会が開催されることを願っております。

今後も、精一杯に市民としての務めを果たして参りたいと思います。
生涯−Jaycee 頑張って参りましょう。
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2005/ 2/ 2 A級戦犯合祀について/後藤田正晴氏「現論/愛媛新聞」への反論
本日の愛媛新聞「現論」覧に後藤田正晴氏の主張が載せられた、
私の認識と大きく違う点があるので指摘してみたいと思います。

具体的には、氏が、A級戦犯(戦勝国による不当な事後法によるリンチ)として
処刑された人たちを靖国神社が独自の判断で合祀したとした点について、
事実誤認として指摘したいと思います。
その他の合祀することの可否や首相が靖国神社を参拝することの可否など、
あるいはODAのにあり方ついてなど、氏のご意見の多くの部分については、
各々が別個独立に持つものであり、異同によって発言を妨げることなどしたくないと
思いますけれども、
氏の持つ情報収集力を考えれば、事実と反する情報で世論を操作しようとしているのではないかいう
意志があるとさえ思える氏の寄稿については、
事実と反する点を、僭越と思いながらも指摘しなければならないと思います。


 さてさて、昭和27年4月のサンフランシスコ条約で、戦争状態が終結され、
やっと占領下から解き放たれた我が日本国国会は、
即座に「戦犯」の名誉回復に取り組んだのです。
今の国会の体たらくと比べなんとも頼もしい限りです。

 国会では、
戦犯とされた方々の遺族が遺族年金などの国家の補償を受け取れないことなどを問題として、
昭和28年8月に「遺族援護法」の改正を果たしたのです。

そして、旧敵国の軍事裁判(不当な)で有罪とされたいわゆる「戦犯」を国内法で犯罪人とせず、
遺族に対し年金と弔慰金が支給されることになったのです。
(議決は全会一致であり、A級・BC級の区別などされていない法律です。)
事実、公文書では、「戦犯の刑死や獄死」は、
「法務死」とされており、戦犯とされた方々の名誉回復が方の上でもなされたのです。

 また、靖国神社の場合、祀る祭神を決定するのは、靖国神社自身ではなく、
終戦までは陸軍省・海軍省であり、
終戦後は厚生省なのです。
厚生省が作った「祭神名票」に従って、
靖国神社は「霊璽簿」を作り、
新たな祭神にお加えしてお祀りするのが靖国神社なのです。
けして、独自の判断でお祀り(合祀)されたものではないのです。
つまり、いわゆる「戦犯」も厚生省からの「祭神名票」に従って、
正当な手続きによって、祭神に加え(合祀)られたわけです。
この点については、後藤田氏の指摘は間違っているのです。

後藤田(父)氏に対して、警察官僚出身の政治家として、
比較的清廉潔白なイメージを持っておりますが、
近代の歴史認識や特に中国・韓国に対する弱腰は、
祖国を守るため命をかけて戦って彼地に先立った英霊に如何にして
申し開きをするおつもりだろうと思ってしまいます。

 もっと言わせていただければ、
時の官房長官として、
中曽根首相ら全閣僚による靖国公式参拝(公私の区別など無い)について、
「今後は、首相の行動が外交問題化するのは避けるべき」との魂を売り渡すがごとき談話を発表し、
以後、公人の靖国参拝が、中韓の外交カードとして当然のように使われ始めたことは、
本当に責められるべき事と考えます。

息子さんきれいな女優さんをお嫁さんをもらったから申すわけではないことは、
ご理解いただけるでしょうね。(笑)
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2005/ 1/13 市長選公開討論会を聞いて1/公開討論会は!
公開討論会聞いて参りました。
会場は、両派の動員があったような雰囲気でしたが、聴衆が多く何よりでございました。

今回の公開討論会で、「中立・公平」を基とすれば、
どなたが計画をなさっても、開催が可能であることが実証されたのではないでしょうか?
代表の前田様始め、主催各位の皆様方、たいへんお疲れさまでございました。

開催前には、主催者の中立性を疑うお話も聞きましたが、私が見る限り、
公平な運営(真意や細かい部分は判りませんが)がなされたのではないかと思いました。

私の方は、一月下旬、新内子町町長選挙の公開討論会でコーディネート役を勤めて参りますが、
「中立・公平」を旨とし、両表明者の対立点があきらかにできるよう、
討論を進めて行きたいと思っています。

名前を連呼して普段は下げぬ頭を下げて選挙区を回る選挙戦、
「知り合いだから」だとか、「誰かに頼まれたから」だとか、情実による選挙はごめんです。

公開討論会は、
彼が、どれだけ「公」であるか、市政のこと市民のことを如何に私事として考えているか、
生の声を聞くことで、よりよい選択をしようという市民運動です。

一部に、選挙運動あるいは選挙の事前運動という捉えるむきがありますが、
いつでも、どこでもどんなテーマでも、意見の異なるグループ・個人が利害関係人の前で、
討論をするべきと思っています。
今治では、農業にテーマを絞って、
JAグループが市長選立候補表明者の公聴会を企画しているようでございます。

禁止されている、戸別訪問をする時間を、
様々な市民グループの抱える問題解決のために、
立候補表明者が如何に考えているか意見を戦わせる機会に変えていただきたいと思います。戻る

motosuke.net