(2)「律令の施行、重税に苦しむ農民の姿」

 左の挿し絵は、『中学校歴史教科書』(東京書籍・p48)で1ページを使って「重税に苦しむ農民」の見出しのもとに掲載されている。我が国が中国の律令制度を参考にしながら、初めて独自の律令体制を築きあげた頃の様子を描いているのだが、適切な記述であろうか?

 『小学校社会』(教育出版)も同じような内容で記述している。「下総の人々が税として運んでいるのは、わかめや布です。下総から都までは、歩いて約1ヶ月もかかります。秋の収穫を終えて、冬にかけてこの荷物運びが始まりますが、都からの帰り道には、食べ物もとぼしくなり病気になってたおれる人も多かったといいます」と記述し、右のような想像図で悪い印象を与えようとしている。この内容の根拠となるものは唯一『続日本紀』である。「和銅5年(712)・・・諸国の役民が郷里に還る日に、食料が欠乏し、多く帰路で飢えて、溝や谷に転落し、埋もれて死んでいるといったことが少なくない。」(『続日本紀(上)』講談社学術文庫 宇治谷 猛 p127128)。しかし、そのすぐ後には「国司らはよく気をつけて慈しみ養い、程度に応じて物を恵み与えるように。もし死に至る者があれば、とりあえず埋葬し、その姓名を記録して、本人の戸籍のある国に報告せよ。」と続いているのに、わざと途中で切っているのである。つまり被害も事実だろうが朝廷の民衆に対する思いやり・配慮・態度がここに如実に現れているのであり、『続日本紀』が述べたい主題はそのことに違いないのだ。

 国家として生まれたばかりでいろいろ試行錯誤する姿が、日本書紀にも続日本紀にも現れている。『日本書紀(上)』(講談社学術文庫 宇治谷 猛 p231〜)仁徳天皇時代「民の竈の煙」の中では、むしろ民を百姓として重んじているのだ。とても有名な話だが、そういうことは教科書には載せない。知りたい人は、他の担当者が次章の中で詳しく述べているので読者は期待して探して欲しい。

 ここで示した「律令の施行、重税に苦しむ農民の姿」の場合、「史書」という根拠をもとに記述しているので、最初の例よりまだましだと思うかもしれない。初めて知った読者は、酷すぎるものを見た後だから、呆然としていてよく分からないかもしれない。だがここに教科書の自虐性を端的に象徴する手法があるのだと言うことが、やがて気づかれるであろう。

 史実を使って正反対に歪曲し貶める手法。しかも真実は誰も知らない、誰も探さない、誰も騒がないと確信している。それでも罪は問はれない。

 

【目次】  【次へ】