1)教科書問題を理解するための若干の前提

1.日本が戦争に負けたと言うこと。負けた方は、勝った方に正義を奪われると言うこと。これをまず理解する 必要がある。忘れてはならないのは、 「負けた方の言論は弾圧されるのではなく、完全に抹殺される」のである。

2. 現代の価値観を基準に、過去を裁く態度は不合理と言えるだろうか?周囲の環境、生活の豊さが全く異なる我々が、違った状況に置かれていた祖先の行為を非難する事が公平と言えるのか?価値観とは、時代や文化、宗教、国境などによって変化するものである。

3.教科書に書いてあるからと言って、それが「全て歴史的事実だとは限らない」かもしれない。今までの常識を一度疑って、何が真実か自分自身で判断する必要がある。

4.どこの国の国民も、自分たちに与えられた情報からしか物事の善悪を判断する事はできない。その情報が、政府の意向でコントロールされていれば、国民はそれに従った行動を取ると言うのは何も日本に限った事ではない。むしろこの傾向は、現在日本より周辺諸国の方が強い。

5.過去の出来事には、「歴史的事実」と「政治的事実」があり、「政治的事実」は、大国の政治的思惑で後にいくらでも書きかえられる可能性がある。

6.中国とは何か、中華思想とは何か、日本人とは全く異なる彼らの常識や歴史、文化を理解しないと教科書問題の裏側が理解できない。

7.教科書問題は教育問題である一方、日本のお金を如何に引き出すかと言う外交あるいは経済問題であることを認識する必要がある。

8.共産主義とはどういうものかについて、基本的な理解が必要である。

9.日本を侵略国と決め付けた「東京裁判」とは如何なる裁判であったのか、日本人の常識として知っておく必要がある。

10.戦争とは悲惨であり残酷なものである。しかし、現在の日本の歴史教育は、日本人が一方的な加害者であったように記述している為、子供たちに戦前戦中の状況について誤った印象を与えている。この点で明らかにバランスを欠いた物である。故にこの稿では、敵国の加害行為や報復の事実も若干記述する。

 実は教科書問題は、日本が戦争に負けた直後から始まった。それはGHQが、アメリカにだけ都合の良いように、「日本の歴史を書きかえる」ことを始めたからである。しかし、我々が学生時代に学んだ教科書は、それほどひどかったという記憶も無い。今日教科書問題と呼ばれる事態は、昭和57年「侵略進出誤報事件」が起こり、当時の宮沢官房長官が、「教科書検定基準に近隣諸国条項を加える」との談話を発表したことに端を発している。この談話以来、近隣諸国が公然と日本の内政に干渉し、教科書を政治的意図でコントロールする事態が始まった。日本の子供たちを、頭が真っ白なうちから教科書を通じてマインドコントロールし、贖罪の意識を植え付ける。日本人の贖罪の意識(あるいは劣等感と言っても良い)を利用して外交交渉で優位に立ち、思いのままに日本人の税金を持ち出すことがまかり通る。誰もこれに対して異議を唱えられない空気が漂っている。昨年(平成11年)、江沢民氏は3,900億円を鷲づかみにし、有難うと言うどころかさんざん無礼な態度を日本国民の前に示して下さった。日本の住専に5,800億円投入するのにあれだけ反対した大新聞が、どうして中国に対しては何も言わないのだろう?

 日本国内には、近隣諸国に有利にことが運ぶように協力を惜しまない勢力がある。マスコミや学会の中では多数派の共産主義、社会主義を信奉する人々である。この人々は、ほぼ反日主義者と重なると言って良い。日本人でありながら日本の悪口を言い、先祖を非難することで自分が正義の味方であると錯覚した人々である。なぜ共産主義者が、近隣諸国(と言うより反日勢力)に手を貸すのかは、後の項で説明する。加えて昨今、この運動に協力しているのが、保守政党の中にいるリベラルと称する実質「社会主義者」たちである。この流れが、教科書問題を取り巻く現状認識の第一歩である。

 日本は中国に対して、今日まで2兆4千億円と言う巨額の経済援助をしている。この中には有償、無償の援助があるが、誰がこの不況時に我々中小企業に30年間無利子、無担保で大金を貸してくれるだろうか?しかも、これがちゃんと返済されるかどうか保証は無い。むしろ昨今、中国が歴史認識の問題を持ち出し、日本に脅しとも取れるような非難を繰り返しているのは、戦後補償と借りたお金を帳消しにする前触れとも受け取れる。サンフランシスコ講和条約で、戦勝国の中には賠償を放棄した国もあると言うが、逆に日本も中国などに残した莫大な在外資産を放棄させられている。ちなみに当時、台湾には40万人、満州には100万人以上の日本人が住んでおり、その人達が中国の大都市に残してきた個人、企業資産全てを没収したのだから大変な額であろう。その上、今日まで2兆4千億円の経済援助である。韓国に対しても、昭和40年(1965年)の日韓基本条約で、当時、有償無償あわせて6億ドル(注1)という巨額の「賠償金」を支払って示談にしている。当時日本の外貨準備高は18億ドルであり、そこから6億ドルを出すと言うのは、まさに手持ち資金の1/3にあたり、賠償の相手は韓国だけではないことを考えれば、当時の日本に取っても大変な出費であった。一方、韓国の外貨準備高は当時、1億3千万ドルであり、貿易赤字が手持ち外貨を上回る2億9千万ドルと言う「火の車」であった。故に韓国経済が、いかに日本からの6億ドルの資金を必要としていたかは想像に難くない。事実、当時の韓国政府の要人が必死になってこの条約をまとめようと日本に働きかけている。(注2)

 これら日本からの協力金が、その後の中国経済の驚異的発展、あるいは韓国経済発展の起爆剤となったことは疑いを入れない。

(注1)日本が韓国に支払った「賠償金」(正確には韓国とは戦争をしていない為、戦時賠償とは言えない)は、無償3億ドル、長期低利借款2億ドル、その他に民間ベースで1億ドルの合計6億ドル。
 この時日韓で協定を結び、これによって韓国の対日請求権は、全て消滅する事が確認されている。この請求権には、「韓国の対日請求権要綱」に基づく全ての請求が含まれており、1965年の時点で両国の戦後補償は完全に決着した。これを今さら覆すと言うのであれば、むしろ韓国は国際条約を遵守しない国ということになろう。
 如何なるケースでも、「示談」にすると言う場合、双方が100%満足しているわけがない。しかし、同じテーブルについて署名をし、握手をした事実は尊重されなければならない。一度示談にした問題を、後で貰いが少なかったからと蒸し返す事は通る話ではない。

(注2)反日政策一辺倒の李承晩大統領のもとでは、不正が横行し、経済成長率も人口増加率を下回ったと言う。国民所得は世界最低水準であり、朝鮮戦争の休戦以降、50年代末にはアメリカの援助削減によって、それを頼りに成長をしてきた産業が大打撃を受け、韓国経済は危機に瀕していた。あらたに就任した朴正熙大統領にとっては、日韓国交回復が悲願であり、金鐘泌首相を日本に派遣して政府要人や各界と事前交渉に当たらせた。1961年には、朴正熙大統領自らが来日し日本に働きかけている。ちなみに日本側は、大平正芳外務大臣、池田勇人首相であった。

 ところが中国は、一党独裁の共産主義国であり、情報は国家の管理下にある(注)。実際、ODAに関わる人達によれば、中国政府は日本の協力によってこの橋ができたとか、この病院が建てられたということは一切言わないそうである。そして日本の閣僚の、「妄言」ばかりを誇張して伝えるものだから、中国国民からは、「日本は一度も謝罪しないし補償もしていない」と言う非難の声が上がる。中国政府は、中国国民の怨嗟の声を政治圧力として利用し、それを日本のマスコミが媒介して日本国民に投げつける。これでは、日本人が、この不況下に「身銭を切って」差し出している税金が、なんら「日本の為に有効に使われていないことになる。こんな無益なお金の使われ方をするくらいなら、不況下に一家心中する追い詰められた中小企業経営者に幾らかづつでも分けてあげたほうがよっぽど良いと思うが、如何だろうか?少なくともそれで救われる命があるのなら。

(注)日本人には中国に対する正しい理解が不足しているのではないか?昨今、日本では子供を産むか産まないかは「女性の権利」と言っている。しかし、中国では「子供を産むか産まないかは国家が決める」(一人っ子政策)のである。この町で「今年妊娠して良いのは誰と誰」ということを個人の意志ではなく「国家が決める」のである。このため貧しい農村では人手が欲しいので制度に反して子供ができると「戸籍に載せない」のだと言う。戸籍に乗らない子供は教育や社会保証が受けられない。皮肉なことに高額な罰金を払える金持ちは、法の網をかいくぐることができる。金で何でも解決できる点が何とも中国的である。

 韓国では、受け取ったお金は何ら国民に届いていないと言う「詭弁」を用いる者もある。しかし、韓国政府が「賠償金」を受け取ったのは事実であり、それが国民の手に届くか届かないかは、韓国の内政問題であり何ら日本の責任ではない。ちなみに日本の援助が感謝されないシステムは、韓国においても同様である。例えば、一昨年(平成10年)以来の韓国の経済危機に際して、IMFから150億ドルの融資を受けたことにより韓国経済は危機を脱する事ができた。しかし、この150億ドルの実に2/3にあたる100億ドルは、日本国民の税金から出されたものである。これがIMFの名に隠されていっこうに評価され無いようになっている。ご存知の通り日本だって決して余裕があるわけではない。

 

 戦後補償の章で述べた通り、戦後補償とは国家間で行うのが通例でる。唯一例外的にドイツは、「国家として」かくも恐るべきホロコーストを行ったことを認められないが故に、ナチスと言う政党が引き起こした「個人の犯罪として」、被害者個人に補償することにしたのである。その代わりドイツは、国家として一切の補償をしていない。したがって、「ドイツはえらいが、日本の補償は不充分だ」と言う主張は、間違っている。あるいは日本国民を故意に惑わすものである。

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