8)なぜ現在の歴史教科書が、子供たちに悪い影響を与えるのか

 他の国もやったのだから、日本の行為が正当化されると言う訳ではない。しかし、日本だけがアジアを侵略し、また筆舌に尽くしがたい戦争犯罪を行ったかのように受け取れる、現在の歴史教科書は明らかにバランスを欠いており、子供たちに自国の歴史について誤った理解を植え付ける。

 戦時における戦争犯罪は、どこの国が行った如何なる戦争にも存在する。どこの軍隊にも、軍人を相手にする慰安婦はおり、もちろん現在の韓国にも慰安婦はいて軍人割引もある。非戦闘員に対する無差別虐殺ならば、日本側も先の大戦中に80万人以上の武器を持たない女性、子供、老人を含む民間人がアメリカなどの連合軍に殺害されている。(注)

 (注)戦争犠牲者の数について
先の大戦における日本側の戦没者は軍人及び軍属が約230万人。それに対して外地で戦禍に巻き込まれ殺害された民間人が約30万人、国内で原爆や東京大空襲など、米軍機による無差別爆撃により殺害された民間人は約50万人である。(太平洋戦全国戦災都市空襲犠牲者慰霊協会調べ)

 日本の教科書には、「日本が(中国と)宣戦布告無き戦いに突入した」として、自国を非難する記述が見られる。しかし、アメリカは今日まで外国と200回も戦争をしており、宣戦布告をしたのは、そのうちわずか4回だという。これをアメリカの教科書が自国の暗部と非難し、その結果、アメリカ人が後ろめたい思いをしていると言う話しを聞いたことが無い。日本のことばかり悪く書いて、教科書執筆者は、正義の味方のような良い気持ちかもしれない。しかし、世界の常識の中で日本の姿を書かなければ、それで学ぶ子供たちが、「自分たちが世界で一番悪い民族なんだ」と言う劣等感しか持てないのは当然である。そもそも、過去に一度の誤りも犯さなかった民族など世界中のどこにも存在しない。
 ちなみに、昨今の世論調査によると、日本の子供が韓国や諸外国の子供に比べ、最も自己肯定感が無く、自分が将来幸せになれるとも思っていないと言う結果が出ている。
 歴史教育は、自分の国の成り立ちや先祖の活躍を学ぶ「人間教育」である。歪んだ歴史教育と自己肯定感を持てない子供達は決して無関係ではない。「武士道」の著者、新渡戸稲造によれば、「名誉」の感覚というのは「家族意識」と深く結びついているという。先祖に対する誇りを失うことで、子供達は家兄とか家族に対する愛着を失いどんどん孤独になっていく。

 しかも、今日のアメリカの代表的な新聞は、全て「日本は謝罪も補償もしていない」と言う論調一色であるという。我々からすれば、日本はこんなに謝りつづけているのに、どう考えても「必要以上に」謝り続けているのに、しかも、苦しい台所事情にもかかわらず、世界のどの国よりも、アジア諸国のみならず、世界に対してODAを始め国連の分担金やIMFなどあらゆる機会に最も貢献しているにもかかわらず、全くそれが認められていない。水道もいったん引かれた後は、蛇口をひねれば水が出るのが当たり前に思われ、水が出ることのありがたさは忘れられてしまう。隧道を引いた人の苦労と水が出ることのありがたさを実感してもらうには、思い切って一度水を止めることも必要ではないか?出なくなって初めて、世界の人々は日本の貢献を知るだろう。その時初めて日本人が流した汗が報われるというものだ。

 今のままでは、日本人の心理の中に言い知れぬ不満や閉塞感が鬱積してきており、我慢もやがて限界に来るのではないか?原因の一つは、海外のマスコミが、日本のことを何ら正しく伝えていないからであるが、元を正せば、自己の姿を正しく宣伝しない日本側の責任である。少なくとも、間違った報道をされて、それにきちんと抗議しない政府は怠慢ではないだろうか。沈黙は金とか、阿吽の呼吸と言うようなことは、国際間では全く通用しない。相手が間違ったことを言ったら、直ちに訂正を求めなければこちらがそれを認めた事になってしまう。

 アメリカは、内外各地の非戦闘員の上に焼夷弾の雨を降らせて焼き殺し、原子爆弾まで使用して瞬時に30万人を抹殺した。アメリカのやった戦争犯罪は、日本の行ったそれの比ではなく、しかも、誰もその戦争犯罪で責任を問われていない。謝罪も補償もしていない。それは、日本の側から決してアメリカの行為を非難する声が「上がらないようになっている」からである
 
ここが教科書問題の、一つの大きなポイントである。

 原爆使用を含む民間人の大量虐殺は、それを計画し、計画を許可し、民間人の頭上に爆弾の雨を降らせた実行者が必ずいる。ところが、原爆の碑が象徴するように、「過ちは二度と繰り返しませんから」となって、ひたすら被害者が内省し、その怒りが、「虐殺を行った側へ決して向かわない」ようになっている「日本が悪い事をした罰として原爆を落とされた」、そう言うアメリカの詭弁は、アメリカの利益と安全に基づいた世論操作であり、その主張に嬉々として手を貸す日本人がいることは誠に情けない。しかし、これがこの稿で強調している、「負けた方は勝った方に全ての正義を奪われる」と言うことの実例である。しかし、もしこれで終わらせてしまうのであれば、悲劇はいつか繰り返されるであろう。なぜなら、虐殺をした側に、何らの反省もないからである。「アメリカが、自国の国益のためには、ためらわず武力を行使する性質」はその後の歴史に見る通りである。

                  【目次】 【次へ】