4)教育勅語

教育勅語

 明治維新のさなか、明治天皇は「五箇条の御誓文」を発布され、年号を慶応から明治と改め、新生日本の進むべき目標を示された。

 明治天皇は教育に非常に熱心で、また国家の基盤となるものとの考え方から、明治23年(1890年)10月30日に「教育勅語」を下賜された。

 これによって、わが国の道徳の基盤、教育の理念が明確にされたが、戦後、日本人の精神的武装解除を目的とする戦勝国アメリカは、国会で教育勅語を廃止するよう強行に申し入れ、昭和23年(1948年)に失効決議となった。

 ここで、明治天皇が日本人の教育のあるべき姿として熱心に考えつくられたものが(アメリカにとっては、敵であった日本の教育方針を誤りとするのは当然のこととして)、なぜ日本人までが戦後、誤った考え方であると思うようになったのか、その背景はなんだったのか。

 一つには、物心つかぬ小学生の頃から丸暗記させられ正しいと信じていた理念が戦争に負けたとたん、突然誤りであると言われたことに対する不信感があったと思われる。しかしながら、これは日本人自身が誤った教えと自覚したわけでなく、「教育勅語」の役割に気づいたアメリカが、占領政策の一環として日本人を洗脳していったことは明白である。

 また、「一旦緩急アレバ、義勇公ニ奉シ」という部分は、戦時に対してはお国のために一斉に立ちあがり愛国心のかたまりとなって国を守る気概を発揮する合言葉となり、日本人の心を一つにまとめていましたが、事実として多くの日本人が戦争で死んでいった。

 日清、日露戦争でも多くの犠牲者はあったのですが、戦いに勝利したことで、その人々はお国の為に命をかけて戦った英雄として「名誉ある死」を得ることができた。しかし昭和20年に敗戦国となったことで「名誉ある死」を得られなくなった人達は、残された家族や国民に深い悲しみと後悔の念を残すこととなり、この気分が教育勅語の言葉を否定的にとらえ「無駄死に」や「犬死に」という考え方にまで広がっていったのではないか。

 しかしながら、祖国のため家族のために命をかけて亡くなった人達の同じ命が、果たして、勝てば「名誉ある死」で、負ければ「無駄死に」なのか。

 戦後、アメリカの占領政策(特に日本人を精神的に骨抜きにするという)は、ものの見事に花開き、今や愛国心=軍国主義というのがとなるまでに成功した。

 愛国心を持つものが非常識というのはこの国だけの常識であることを私達は知らなければならない。そしてそれは私達自らが選択したものではないことも。

 国を愛し、祖先を敬うことは万国共通のものであり、日本人が日本の歴史を誇りに思うことも同様である。

 戦後教育の中で触れられる事のなくなった「教育勅語」をあらためて読んでみると「父母は孝に、兄弟は友に、夫婦相和し、朋友相信し」等、現代の私達にとってもなんら違和感のないあたりまえの道徳観であり、人間教育の基本であり、これが近代日本民族の精神的バックボーンとなって日本人の誇り高き精神を形成してきたことは明白である。

 戦争を善悪でだけでとらえ、負けた戦争=悪かった戦争としか考えられなくなってしまった人達には抵抗があるのもやむを得ないのかもしれない。しかし、現在の戦後教育がもたらしたものの結果は50年を過ぎ、確実に社会の表面に表れてきている。神話を否定するアメリカの洗脳教育がもたらしたものは、私達日本人の中に綿々と誇りに思うことすら罪と思うように刷り込まれているのである。

 私達には「教育勅語」というものを単純に否定せず、その中身についてもう一度考えてみることも大切なのではないか。

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