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3)敗戦の意識 現在の私たちが終戦時の日本人を考えるとき、GHQ占領下のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム政策以前と以後では全く状況が違ってしまっていることを再認識すべきである。日本人の意識が180度変換したのだとしたら、それは敗戦のショックのためではなく、このGHQの占領政策によるものであることは、最近の研究により明らかになっている。 終戦当時の日本人は、詔書にある「総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ」という昭和天皇のお言葉を新日本建設に向けて力強く受け止めていただろう。例えば(株)松下電器産業の松下幸之助は、昭和20年8月20日にはすでに電気製品などの民需生産の再開を発表し、社員を奮い立たせている。(松下電器産業ホームページ「歴史」より) 次章で書かれている「東京裁判」においていわゆる戦争犯罪人として処罰された政府高官たちの口供書などは、GHQの検閲により新聞などで当時の国民が知ることはなかった。もし、裁判の内容、また判事団の中で唯一日本の無罪を主張したインドのパール博士の判決文がありのまま報道されていたならば、人々は戦争の意義をどう考え、戦後をどのように生きたであろうか。 次項でも触れる大東亜戦争開戦前、昭和16年(1941年)9月6日の御前会議において永野修身海軍軍司令部総長のこのような発言がある。 「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、われらの子孫はかならず再起三起するであろう」(「太平洋戦争への道」角田順) 戦後、混乱と疲弊、物不足にあえぐ日本はアメリカからの、ララ物資などの食糧、またガリオア・エロア資金などの多大な経済援助を受け、復興を果たすことが出来た。 しかし、同時にGHQによる言論の統制は、戦後の社会に巧妙なマインドコントロールを与えたに等しく、「大東亜戦争」は「太平洋戦争」と呼称を変えさせられ、祖国護持の精神は、軍部の独走と罪深き他国への侵略行為へと、国民の記憶と意識も書き換えられていったのではないだろうか。
4)英霊の言乃葉 敗戦時の日本人、日本の家族を伝える記録として、戦死した兵士たち、従軍看護婦たちの遺書がある。特攻隊や戦死者の声はどのように遺族と、国民に受け止められていたのだろうか。あるものは進んで、またあるものはやむを得ず故郷のため国のためにと出陣したことだろう。しかし彼らのうち誰もが父母を慕い感謝し、子供たちの幸せを祈り、そのために誇りを持って戦っていたことはどの遺書からも哀切の情を持って訴えてくる。まさに「たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神」を残そうとしていたのではないだうか。それはとりもなおさず、家族や生まれた町を守るための戦いであったのだ。 この項の終わりに遺書のいくつかを掲げる。 この人々の死なくして、現在の私たちと、日本の繁栄はなかったということをもう一度、深く考えるべきではないだろうか。
富澤幸光海軍少佐 神風特別攻撃隊第十九金剛隊 お父上様、お母上様、益々御達者でお暮らしのことと存じます。幸光は闘魂いよいよ元気旺盛でまた出撃します。お正月も来ました。幸光は靖國で二十四歳を迎える事にしました。靖國神社の餅は大きいですからね。同封の写真は○○で猛訓練時、下中尉に写して戴いたのです。眼光を見て下さい。この拳を見て下さい。 久野正信中佐 第三独立飛行隊 遺書 父ハ、スガタコソミエザルモ、イツデモオマエタチヲミテイル。 「マサノリ」、「キヨコ」、オトウサンハ、カミサマニナッテ、フタリヲジットミテイマス。フタリナカヨクベンキョウヲシテ、オカアサンノシゴトヲテツダイナサイ。オトウサンハ「マサノリ」、「キョコ」ノ、オウマ(お馬)ニハナレマセンケレドモ、フタリナカヨクシナサイヨ。 オトウサンハ、オオキナジュウバク(重爆撃機)ニノッテ、テキヲゼンブヤッツケタ、ゲンキナヒトデス。オトウサンニマケナイヒトニナッテ、オトウサンノカタキヲウッテクダサイ。 (以下それぞれの一部抜粋) 渋谷健一陸軍少佐 特別攻撃隊振 31歳 (娘に宛てて) 父は選ばれて攻撃隊長となり、隊員十一名、年歯僅か二十才に足らぬ若桜と共に決戦の先駆となる。死せずとも戦に勝つ術あらんと考ふるは常人の浅はかなる思慮にて、必ず死すと定まりて、それにて全軍敵に総体当たりを行ひ、尚且つ、現戦局の勝敗は神のみぞ知り給ふ。真に国難といふべきなり。父は悠久の大義に生きるなり。 城山光生陸軍主計中尉 第一四九飛行場大隊 24歳 これまでは我儘を何とも思はず過ごして来ましたが、身に沁みる愛情をもって、育てて下された御両親の御苦労をしのべば、恩返しも出来ず残念です。 市島保男海軍大尉 神風特別攻撃隊第五昭和隊 23歳 (最後の日記より) 隣の室では酒を飲んで騒いでいるが、それもまたよし。俺は死するまで静かな気持ちでいたい。人間は死するまで精進しつづけるべきだ。ましてや大和魂を代表するわれわれ特攻隊員である。その名に恥ぢない行動を最後まで堅持したい。 俺は、自己の人生は、人間が歩み得るもっとも美しい道の一つを歩んできたと信じている。 |