8.高等教育

 日本の自由主義思潮は、第一次世界大戦に続く数年の間に、主として大学専門学校(カレッジ・単科大学)教育を受けた男女によって形成された。高等教育は今や再び自由思想の果敢な探究、及び国民のための希望ある行動の、模範を示すべき機会に恵まれている。これらの諸目的を果たすために、高等教育は少数者の特権ではなく、多数者のための機会とならなくてはならぬ。

 高等程度の学校における自由主義教育の機会を増大するためには、大学に進む予科学校(高等学校)や専門学校のカリキュラム(教科課程)を相当程度自由主義化し、もって一般的専門教育を、もっと広範囲の人々が受けられるようにすることが望ましい。

 このことは、あるいは大学における研究を、あるいはまた現在専門学校で与えられるような半職業的水準の専門訓練を彼らに受けさせることになるが、より広範囲の文化的、社会的重要性をもつ訓練でいっそう充実することになろう」

『米教育使節団報告書』の最後の部分である。

「大学専門学校の数を増加するほかに、適当な計画に基づいて大学の増設が行われるよう、われわれは提案する。

 高等教育機関の設置や、先に規定した諸条件の維持に関する監督には、政府機関に責任を持たせるべきである。

 開校を許可する前に、申請せる高等教育機関の資格審査、及び上述の第一要件を満足させているか否かを確認する役目以外には、その政府機関は、高等教育機関に対する統制権を与えられるべきではない。

 その高等教育機関は、自ら最善と考える方法でその目的を追求するために、あらゆる点において完全な自由を保有しなくてはならない。

 学生にとって保証されるべき自由は、その才能に応じてあらゆる水準の高等な研究に進み得る自由である。有能な男女で学資のないため研究を続けられぬ人々に、続いて研究ができるよう確実に保証してやるため、財政的援助が与えられるべきである。

 現在準備の出来ているすべての女子に対し、今ただちに高等教育への進学の自由が与えられなくてはならない。同時に女子の初等中等教育改善の処置もまた講ぜられなくてはならぬ。

 図書館・研究施設及び研究所の拡充をわれわれは勧告する。かかる機関は国家再建期及びその後においても、国民の福利に計り知れぬ重要な寄与をなし得るのである。

 医療・学校行政・ジャーナリズム・労務関係及び一般国家行政のごとき分野に対する専門教育の改善に対し、とくに注意を向ける必要がある。医療及び公衆衛生問題の全般を研究する特別委員会の設置を、われわれは要望する」

 この報告を受けたGHQは、4月7日、ワシントンの米国務省と同時にこの報告書全文を発表した。そのさいマッカーサー元帥は「この報告書は、民主主義的伝統における高き理想を示すもの」であるが、この教育方針に関する勧告は「広い視野に基づく研究と、将来に対する計画を立てるに当たっての、一つの指標としてのみ役立つもの」との声明を出した。

 この4月26日、政府は前年11月1日現在で行った人口調査の結果を発表したが、それによると総人口約7100万人のうち一割弱の600万人が失業していることがわかった。また5月12日には、東京・世田谷の「米よこせ区民大会」が赤旗を立てて皇居内にデモをするという“異常事態”が発生した。

 戦争・敗戦がもたらした危機が怒涛のように日本列島をおおっていた。

 そういうとき、たとえ民主と自由の高い理想を掲げてあるとしても、報告書の勧告は日本人にとって過酷な指標であった。

 ともかく、3月7日から同30日まで、24日問の使節団の活動はこの報告書に集約された。

 報告書が教育界に与えた印象は鮮烈だった。現在教育評論家で、そのころ東京・港区の愛高国民学校高等科で教えていた金沢嘉市氏に聞こう。

「ザラ紋にガリ版刷りにされて学校に回って来たのを読んだ。私は敗戦で教師としての責任の深さに思い悩み、もう教師を続けていく自信をなくしていた。その私を力づけてくれたのが、前後して発表された新憲法草案と、この報告書だった。

 これならやっていけると思った。新憲法精神を基にした教育こそ私が望んでいたもので、私に新たな決意が生まれた。

 報告書で大変印象的だったのは、『教師の最善の能力は、自由の空気の中においてのみ十分現される。子供の持つ計り知れない資質は、自由主義という日光の下においてのみ実を結び、その自由の光を与えることが教師の仕事である』 − これだった。

 それと六・三制の義務教育。私の学校は上級学校に進学できない貧しい家庭の子供たちが多かったが、そういう子供たちに九年間の教育を保障し、上級学校にも進める希望のもてる“開かれた”形になったのは本当にうれしかった。」

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